はつがしら「癶」の漢字3選

発明の「発」や登山の「登」は、多くの場合、はつがしら「癶」という部首に分類されます。
ところで、この「癶」という部首は一体どういう意味なのでしょうか。

部首と言うのは意味を持っているものです。
きへん「木」を持つ漢字は木に関する漢字、
(例えば「桜」「梅」「松」や「板」「柱」「材」)
さんずい「氵」を持つ漢字水に関する漢字。
(例えば「海」「河」「滝」や「洗」「混」「炊」)
では、「癶」を持つ漢字は何に関する漢字なのでしょうか。

「癶」は揃えた両足


▲説文篆文の「癶」
(伏見, p1515.)


白川静「字通」によれば、「癶」は両足の並んだ形だそうです。

両足のならぶ形。[説文]二上に「𣥠は足剌𣥠たるなり。止■に從ふ。讀みて發の若くす」という。足がばらばらになるのではなく、両足をそろえて出発しようとする意で、発進の意である。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1282.)
※■は「止」の鏡文字

ですので、「癶」を部首に持つ漢字は、基本的には、この「並んだ両足」に関する漢字ということです。
「癶」は「𣥠」が変形したものと言っておおよそ間違いはありませんが、
別の形として、「业」のような形になったものもあります。
また、「祭」の冠のような形で書くこともありました。


▲宋代の政治家 蘇軾の「登」
(伏見, p1516.)


「登」は台上の両足

「字通」によれば、「登」は台の上にある両足を意味する会意文字です。

癶+豆。癶は両足をそろえる形で、出発の時の姿勢。豆は豆形の器。登るときの台とみてよく、登は登位・登高・登進の意。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1204.)


▲陳の僧 智永の「登」
(伏見, p1516.)


ところで、この「登」を元とした変体仮名として「*1」がありますが、この上半分は、実は先に紹介した「业」から来ていると考えられます。
そう考えないと、最初の縦の画の説明が付きません。

「發」は弓を引く姿勢

「発」の本字である「發」は、弓を引く姿勢を意味しています。
確かに、弓を引いているとき、両足はしっかり地についています。

旧字は發に作り、𣥠+弓+殳。𣥠は両足を開いて立つ姿勢、下部は弓を射る形。開戦に先だってまず弓を放つ意。[説文]十二下に「䠶、發するなり」と発射の意とするが、發には発動の意がある。それで軍を発し、また発揮・発明のようにもいう。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1283.)

「發」の字の「癶」部分は、よく「业」の形でも書かれたようです。


北魏時代の墓石に見られる「發」
(伏見, p1518.)


また、大陸中国で使われる漢字である簡体字では、「發(=発)」は「发」と書きますが、この字体も古くからある字体です。
但し、終画である右上の点は、打たれないことの方が多かったらしく、どうやら補空の点だったようですが。
(しかし、この点がないと、パッと見は「友」と見間違えそうですね)


▲晋の政治家 索靖の「發」
(伏見, p1518.)

何故「發」が「发」となったのかは、明らかにすることができませんでした。
先に見た、上半分が「业」で書かれた「發」を崩していった結果と見ることもできます。
個人的には、発音が同じor似ている「犮」の影響を受けているのでは、とも思いました。
実際、「髪」という漢字は、本字は「髮」であり、「友」と「犮」は混同されやすかったのだと考えられます。
(なお、「髪」も、簡体字では「发」と書かれます)

全く関係のない「癸」

「癸」という感じは現代では余り見かけない字ですが、
「甲」「乙」「丙」なら聞いたことがある人はいるでしょう。
一応、中学古文で返り点の一種としてまれに登場しますし、
国家資格である危険物取扱者試験でも「甲種」や「乙種」という種別があります。
(戦前は成績表が「甲」「乙」「丙」で付けられていましたが、もう70年以上も前の話)

で、「癸」も「甲」「乙」「丙」の仲間です。
十二支と似たような位置づけに、十干というものがあり、
「甲」「乙」「丙」は十干の1番目、2番目、3番目の漢字ですが、
これの10番目、最後の漢字が「癸」です。
読みは「キ」、十干で使う時は「みずのと」とも読まれます。

主な意味は「測る」ですが、どうやら元々は木で組んだ台座を表す漢字だったようです。

器を樹てるときの台座として用いる柎足の形。木を十字形に交差して組み、地において安定した座とする。[説文]十四下に「冬時、水土平らかにして揆度すべきなり。水、四方より流れて地中に入るの形に象る」とするが、卜文・金文の字形はその象としがたい。[説文]はまた字を「癸は壬を承け、人の足に象る」とするが、足の形ではない。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p236.)


▲説文篆文の「癸」
(伏見, p1515.)


篆字を見ると、いやはや、どうしてこれが「癸」になったのかという形をしています。
この字を何とか筆で書こうとしたときに、上半分を「𣥠」と見立て、それが「癶」に繋がったのかもしれません。

というわけで、「癸」は両足とは全く関係ないということになります。
字通でも下記のように書かれています。

(癶の項にて)
[説文]に登・癹の二字を属し、發(発)を弓部に置き癹声とする、癶は弓を射るときの、足の構えを示す形であろう。いま癸をその部に属するが、癸は拊足の形で、癶とは関係がない。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1282.)

足を前後に並べると…

というわけで、「癶」は「𣥠」を由来とし、「並んだ両足」という意味を持ちます。
この両足を左右に並べるのではなく、上下に並べると別の漢字になります。
これが「歩」です。

「歩」という漢字の成り立ちとして、
『歩くことは、止まるのが少ないから「歩」と書く』という俗説がありますが、
元々「歩」は「步」と書き、これをさかのぼると「𣥗」となります。
つまり、前後に足を並べるのが「歩」なのです。

余談ですが、
「歩」は元々「步」だったというのは、「歩」を部品に持つ他の漢字を見てもわかります。
例えば、「危機に瀕する」の「瀕」の字、
拡大してよく見ると、「歩」ではなく「步」です。
これのさんずいが取れた「頻繁」の「頻」は、「歩」の字を使っています。
JIS漢字によくある、使用頻度の低い漢字は新字体に置き換えられなかった例です。

(追記:2019/6/29)
「歩」に関する記事を書きました。
lar-lan-lin.hatenablog.com

※記事中の「伏見」は、伏見冲敬: 書道大字典, 角川書店, 1974.

*1:画像はグリフウィキ(GlyphWiki)より、http://glyphwiki.org/wiki/u1b07b

"queue"は何故これで「キュー」と発音するのか

プログラマにはおなじみの単語、「配列」を意味する"queue"ですが、
所見ではとても読めないですよね。僕は学生時代、暫く「クエゥエ」って読んでいました。

さて、この"queue"ですが、何でこんな綴りなんでしょうか?

フランス語としては問題ない綴り

この"queue"、元をたどればフランス語だそうです。そりゃあ読めないわ。

queue /kjú:/ n.
1 ⦅?a1500⦆? 一列の踊り子たち.
2 ⦅1592⦆獣の尾.
3 ⦅1748 Smollett⦆ 弁髪.
4 ⦅1837 Carlyle⦆ (人が順番を待つ)列.
◆ME queu(e)□F queue<OF co(u)e<L cōdam
(寺澤芳雄:英語語源辞典, 研究社, 1999.)

さて、フランス語の単語として"queue"を見ると、「キュー」という発音は全くおかしくないんだそうで。
フランス語の発音規則に則れば、

  • qu:[k]
  • eu:[ø](「円唇前舌半狭母音」で、ドイツ語の"ö"よりも口の開きが狭い。日本人には「オ」とも「エ」とも「ウ」とも聞こえる、ような気がする)
  • e:無音のe

となり、これが英語に輸入されたときに、/kjú:/と変化したのでしょう。

「茶漬る」の文献「遊子方言」「傾城買四十八手」から「茶漬る」を探す

今、twitter上で「茶漬る」という動詞が話題になっています。

「告る」「ディスる」のような名詞+「る」という造語法は江戸時代からあったようです。
辞書編集者の神永暁さんの「さらに悩ましい国語辞典」(時事通信社)によると、
「お茶漬けを食べる」という意味で「茶漬(ちゃづ)る」という語があり、
「茶漬っていこ」のように使われたそうです。(雅)
日経新聞 記事審査部(校閲担当) @nikkei_kotoba 9月26日

辞書を文献にしているので、よっぽど誤りはないとは思いますが、
やはり原本を当たってみたいと思い、調べてみました。

まずは、togetterでも紹介されている江戸時代の洒落本「遊子方言」を調べてみました。

おおお。「ちゃづる」、日国に出てた。 https://twitter.com/nikkei_kotoba/status/912503110978768896
平山鉄太郎‏ @__tetsu__ 9月26日

国立国会図書館デジタルコレクションに登録されており、
35コマ目の7〜8行目にありました。そのすぐ後に、もうひとつの文もありました。
「こ」=「古」、「つ」=「徒」、「か」=「可」、「し」=「志」、「は」=「者」など、
それぞれ元とする変体仮名で書かれていました。

(通り者)これ新や。茶づらせろ
(新ぞう)何、けづらせろとかへ
(通り者)これさ。そんなに。しやれずと。はやく。持て来やなのう色男ちっくり茶づッてゐこじやないか。
国立国会図書館デジタルコレクション - 遊子方言

次は、コトバンクなどで文献に挙がっている、やはりこれも江戸時代の洒落本「傾城買四十八手」を調査しました。
茶漬る(チャヅル)とは - コトバンク

毎度おなじみ、国文学研究資料館のデータベースにありました。
19コマ目の3〜4行目に見つけました。

酒をバよしてちやづんなんせバいい
傾城買四十八手:19/51コマ

"A New English Grammar, Logical and Historical"の"h"に関する記述 まとめ

内容的には「hの話」シリーズなのですが、余りに資料的なので番外編ということで。

先日、英語の"gh"について扱ったときに、"strong h"という表記が参考文献にありました。

hの話(その8:英語の"gh"とドイツ語の"ch")

これについて、著者の田中は同書の中で「Sweetの"strong h"」と書いており、
つまりSweetの用法と同じように"strong h"やそれと対をなす"weak h"を用いているというわけです。

Sweetとは、イギリスの音声学者Henry Sweet(1845-1912)のことであり、特に古英語学の基礎を築いたことで有名です。
今回はSweetの著作のひとつ、"A New English Grammar, Logical and Historical"の中から、
"h"に関する記述を引用し、まとめてみたいと思います。

著作は以下のリンク先から読むことができます。本当に、昔の文献がフリーで読める凄い時代です。
https://archive.org/details/newenglishgramma01swee

732.
Initial h had the same sound as in E. hw, as in hwīt ‘white,’=(wh)
So also hl, hr, hn represented the voiceless sounds of (l, r, n) respectively,
as in hlūd ‘loud,’ hring ‘ring,’ hnutu ‘nut.’
In hw etc. the h and the w were originally pronounced separately.
Non-initial h—‘strong h’—had the sound of (x) in Scotch loch,
as in þurh ‘through’;
in some words it had the sound of (ç) in German ich,
especially after a front vowel, as in ġesihþ ‘sight.’
(Sweet, p242, 改行は引用者任意)

809.
OE hr-, hl-, hn- became voiced in ME, as in ring, lūd, nŏte;
hw- was kept, being written wh, as in what.

The change of hr to h, etc. was not a phonetic weakening,
but was a process of levelling*1, the few words beginning with hr, etc. being absorbed,
as it were, into the much larger group of words beginning with the voiced sounds.
hw was preserved because of its occurrence in some very frequent words, such as what, when.
(Sweet, p262, 改行は引用者任意)

内容に入る前に音声の表記方法について:
Sweetがこの著作を著した当時、まだ音声学は発展途上であったために、今のIPAのような統一的な表記方法はありませんでした。
(最初のIPAが制定されたときが、まさにSweetが現役だった時代です。)
この本の中では、"sound of (#)"という表記は、IPAを用いた時の/#/に対応する表記になります。
勿論、同じ音声に対して異なる記号を充てている場合もあるため、そのまま"sound of (#)"=/#/とならないことがありますが、
その場合は引用後に補足いたします。
今回の場合は、そのまま/#/で置き換えられます。

  • sound of (x) = /x/
  • sound of (ç) = /ç/

さて、上記の引用をまとめますと、

  • 古英語
    • 語頭の"h"は現代英語の"h"と同じ/h/の発音であった。
      • 特に、"hw"や"hl"、"hr"や"hn"のように、子音が続くような単語もあった。
      • 発音は、それぞれの文字が担う子音がそのまま連続して発音された。
    • 非語頭の"h"は、/x/(但し、前舌母音の後では/ç/)の音で発音された(これを"strong h"と呼ぶ)。
  • 中英語
    • 語頭の"h"の内、"hw"を除く、後に子音が続く"h"は発音されなくなり、綴りからも姿を消す。
    • これは、語頭の"h"が弱化したというよりも、数の少ない「"h"あり+子音」を語頭に持つ単語が、数の多い「"h"なし+子音」を語頭に持つ単語のグループに吸収されたと言った方が良い。
    • 一方、"hw"は"wh"という綴りに変わって(但し発音は/hw/のまま)生き続けた。
    • "hw"を語頭に持つ単語は比較的多く、使用頻度も高いものが多かったのが原因である。

761.
In OE h between vowels or between vowel-like consonants and vowels was dropped,
often with lengthening of the preceding vowel, as in furh ‘furrow,’
dat. plur. fūrum, Wealh ‘foreigner,’ ‘Welshman,’
plur. Wealas, Wēalas, WielisċWelsh.’
When two vowels came together in this way, they were often made into a diphthong,
as in ġesēon ‘see’ from *ġeseohan [compare ġeseah ‘saw’].
(Sweet, p249, 改行は引用者任意)

古英語の時代で既に、

  • 母音と母音に挟まれた"h"
  • 母音的な子音と母音に挟まれた"h"

は脱落する傾向があったようです。
この「母音的な子音(vowel-like consonants)」というのが
どこまでの子音を含んでいるのか不明ですが、
少なくとも/j/は含んでいるのではと思います。
そして、時にこの"h"の脱落によって欠損した音を補うように、
直前の母音が長音化することがあってようです。
"h"が長母音の符号として使われるのは、
こうした経緯が由来なのでしょう。

  • 英語の"ah"や"oh"
  • ドイツ語の"sehen"や"fahren"
  • 日本語のローマ字表記での"oh"

762.
Open g, ġ became h before a breath consonant, as in byht ‘bending’ [būgan ‘bend’].
763.
Final open g was also unvoiced in Late West-Saxon, as in troh ‘trough,’
ġenōh ‘enough,’ burh=earlier trog, ġenōg, burg.
(Sweet, p249, 改行は引用者任意)

781.
After much fluctuation OE strong h was written gh, as in right, doghter.
(Sweet, p254, 改行は引用者任意, ※‘doghter’は‘daughter’のME期の綴り.)

808.
In old French h was silent in most words of Latin origin
—being often dropped in writing as well as pronunciation—
but was always pronounced in certain words—mostly of German origin—
which, of course, kept their h when imported into ME both in spelling and pronunciation,
the silent French h being sometimes written, sometimes not, but never pronounced.
ME had silent French h in such words as onūr, honour, hour, horrible.
(Sweet, pp261-262, 改行は引用者任意)

813.
(引用者註:前項812.で述べた、OEのopen gが/g/→/ʒw/と変化したのを受けて)
Strong h was rounded into (xw) in the same way,
as shown by its influence on preceding vowels (806).
As final h in ME often corresponded to medial w
in such pairs as inōh sing., inōwe plur.=Late OE ġenōh, ġenōge,
OE final h was changed into w when an e was added
—as was frequently the case (795):
thus ME furwe ‘furrow’ holwehollow’=OE furh, holh.
When final e was dropped at the end of the ME period, a resulting final w was changed to u: folu, holu.
(Sweet, pp262-263, 改行は引用者任意)

815.
Final OE front h was voiced in ME when a vowel was added;
thus hīh ‘high’ has pl. hīʒe, hīe (802),
from which a new uninflected form was formed.
(Sweet, p263, 改行は引用者任意)

864.
Initial (h), which was preserved through First and Second MnE,
began to be dropped at the end of the last century,
but has now been restored in Standard E. by the combined influence
of the spelling and of the speakers of Scotch and Irish E.,
where it has always been preserved.
It is also preserved in American E., while it has been almost completely lost
in the dialects of England—including Cockney E.—as also in vulgar Australian.

865.
But (h) is always dropped in weak syllables when not at the beginning of the sentence,
as in (-hij sed -ij wəz redi) he said he was ready,
whence the distinction between the emphatic (-him) and the unemphatic (-im).
The dropping of h in weak syllables is very old.
Even in OE we find such spellings as eora, Ēadelm
=heora ‘their,’ Ēadelm (a man's name).

866.
As we have seen, strong h appears in ME in the front of (ç) and (xw).
In First MnE the former was weakened to a mere breath-glide, and then dropped,
the preceding vowel being lengthened, so that ME night (niçt)
passed through (niht) into (niit), whence by the regular change (nəit).
But the older (niht) was still kept up by some speakers,
and the co-existence of (nəit) and (niht) gave rise to the blending (nəiht) or (nəiçt),
which, although artificial, seems to have been not uncommon in speech.
The gh in high, nigh, weigh, etc.=ME hīgh, was generally silent.
The back -gh was kept in such words as laugh, thought, enough
(lauxw, þouxwt, þoxwt, inuxw),
and in many words the lip element was exaggerated in Second MnE till it became (f)
—(læf, lææf, þoft, þoot, inɐf)—
which in draft by the side of draught—both from ME draght
has been adopted in the spelling.
(Sweet, pp280-281, 改行は引用者任意)

*1:-ll-となるのはイギリス綴り

ひらがな・カタカナ裏話(その5:字源の漢字の裏を取る(後編))

ラスト4字を紹介します。

前回:ひらがな・カタカナ裏話(その4:字源の漢字の裏を取る(中編))

へ(部)

「へ」が「部」から生まれたという話は、以前ご紹介したとおりです。

参考:ひらがな・カタカナ裏話(その2:「へ」が「部」から出来たって本当?)

日本では「部」と書くところを「ア」の字のように書いている例が多くありましたが、
中国では(少なくとも今回参考にした3文献では)全くありませんでした。
これは日本特有の崩し方と言ってもいいのでしょう。

ところで、この「阝」は「邑」の字を崩した字ですが、
「邑」の字の崩し字の中には、「阝」と「ア」の合いの子みたいな字体が日中両方で見つかりました。

み(美)

これも以前にご紹介しました。

参考:ひらがな・カタカナ裏話(その1:「み」のはらいはどこから来たの?)

日中両方で、「美」の字を「み」のレベルにまで崩すことはなかったようです。
それでも例示の中には、これは「羙」を書いているなというものもちらほらありました。
字典には「美」と「羙」の通字関係についての記述はないので、
字典だけを読むと、これって本当に「美」?と疑問に思う人がきっといるでしょうね。

む(武)


▲中国東晋の書家
王羲之(303-361)の画
(藤原, p808.)


漢字の書き順は後付けで考えられたもの、という話はどこかでしたと思いますが、
この「む」についても、学校教育で教わる書き順とは異なる順番で書かれた「武」が、「む」の元となっています。
右図のように、終画の点が省略される場合もあり、こうなるといよいよ「武」の字とは思えなくなってきます。

を(遠)

これは日中双方で、「を」に近い形に崩された「遠」の字を見つけることができました。
「辶(辶)」を崩し字では「こ」の下半分のように書くことを知っていれば、
「遠」から「を」が生まれたことはそんなに不思議ではないと思います。
つまり、「を」の1画目、2画目と3画目の前半は「袁」を、3画目の後半が「辶」を、
それぞれ崩したものということです。

(2020/9/6追記)
次の記事を作成しました。
lar-lan-lin.hatenablog.com

ひらがな・カタカナ裏話(その4:字源の漢字の裏を取る(中編))

前回の続きです。

前回:ひらがな・カタカナ裏話(その3:字源の漢字の裏を取る(前編))

し(之)


Meshi / kzys


「し」の書体として上に「丶」が打たれるものがあるので、「之」が由来というのにはそんなに違和感はないのですが、
それにしても「Z」のような後半3画を「し」のようにしてしまうか、という見方もあります。
しかし中国書道で、既に縦に長いぐにゃぐにゃに崩された書体があり、凄いものでは「これは子供が描いたヘビなのでは?」と思うようなものもありました。
日本では連綿と呼ばれる、文字同士が一繋ぎに書かれる書き方があったので、このぐにゃぐにゃはより簡略化され、「し」に至ったという訳です。
但し、「し」の右への払い上げは、活字化のタイミングで強調されたように思います。手書きをする上では、そのまま右下へ払われる場合がほとんどですし。

ち(知)


▲中国東晋の書家
王羲之(303-361)の画
(藤原, p1014.)


個人的には記事を書く前の「み」並みに納得行かない例です。
「つ」の部分が「口」に相当するのはいいとして、
じゃあ「十」の部分が「矢」ってこと?と。
しかし調べてみると、中国書道の時点で「知」は「ち」に近い形で書かれている例が複数ありました。
書聖と言われる王羲之が「知」を「ち」と書いているなら、凡人の僕は何も言えません。
「知」の偏である「矢」は、「矢」だけで書かれるときはあまり崩されないのですが、「知」「短」「矩」のように「矢偏」として用いられる場合は、「ち」に近い形(より正確には、「く」の上側を「一」で貫いたような字)で書かれることがあったようです。

つ(川/州)

「つ」の字源には諸説あり、「川」説と「州」説が併存しています。元々「川」と「州」自体の字の成り立ちが近いので(「州」の原義は今の「洲」であり、「川の中の島」の意)、混同されていた可能性もあるかなと私的には思っていますが、証拠は見つけていません。
今回はどちらの説も棄てず、両方について調べてみました。
まずは「川」ですが、これが「つ」のように一繋ぎに書かれた例は見つかりませんでした。日中とも、しっかりと3つの線を書いています。
一方で「州」の方ですが、こちらはいくつかのパターンがありました。
中国では「ね」のような、縦棒の後に左から右へくるくるっと書いた書体が見られました。縦棒を3本書いた後に、横棒を書いたようなものもありました。


▲古地図を見ると、「州」と書くべきところを
「刕」としているものに出会います。
例えば「尾刕殿」は「尾張国の屋敷」と
いう意味です。

他方、日本では、「州」を「リ」が3つ並んだものと見立てたような書体が複数ありました。「州」の異体字に「刕」がありますが、これはそのような解釈から生まれた字なのでしょう*1
結局「州」についても、「つ」のように書いたものはありませんでした。強いて言うなら、先に挙げた「ね」のような字体が近いのかな?

次回:ひらがな・カタカナ裏話(その5:字源の漢字の裏を取る(後編))

*1:部首の「刂」は「りっとう(立刀)」と読み、その名の通り刀を意味しています。「剣」「刻」「割」「刈」「剃」などは、関係ありそうですよね。

ひらがな・カタカナ裏話(その3:字源の漢字の裏を取る(前編))

ひらがなの由来の中には、「それホント?」と言いたくなるようなものがあります。
過去に記事にした「み」や「へ」は、そんな思いから記事にしたものです。
この2つは、元の字とされる「美」や「部」と大きく形が異なるため、その成り立ちに疑問が湧いた字でした。

前々回:ひらがな・カタカナ裏話(その1:「み」のはらいはどこから来たの?)
前回:ひらがな・カタカナ裏話(その2:「へ」が「部」から出来たって本当?)

今回は、個人的に「み」や「へ」ほどではないものの、
イマイチ納得できていないひらがなについて、紹介します。

本当にその字が崩れた形なの?

ひらがなの成り立ちについて解説した本でも、単に「○は□の草書」とだけしか書いていないものが多いです。形が大きく変わっている「へ」などは、特別にページを割いている場合もありますが、中途半端に納得できそうなものについては、ほとんど補足がないことが多いです。

そこで今回は、由来とされる漢字について、その漢字自身のくずし字を調べ、そこから生まれたとされるひらがなと比較するという方法を取りました。
更に、漢字の崩し方が日本と中国で違うこともあるかもしれないと考え、
中国書道の字典と日本書道(という言い方は余りしませんが)の字典を参考にしています。
(日本人は漢字とひらがなの両方を知っているので、一方を書くときに他方を意識してしまうかも知れませんが、
中国人は漢字しか知らない(はず)なので、純粋な漢字の崩し字と見做せる、という意図です。)

前者2つは中国書道専門、後者1つは中国書道と日本書道の両方を扱っています。

字体が大きく異なる(私見)ひらがな9字

さて、では結果を見ていきます。

き(幾)


▲中国宋代の詩人 林逋
(967-1028)の画
(伏見, p325.)


「き」の由来は「幾」とされています。
「幾」は12画の漢字ですが、ここから4画の「き」が生まれています。
これについて森岡は、「幾」の草書は、右下の「ノ」を省略し、上から右下へ貫く画を書いた後は、左下の「人」に移るからであると補足しています。
先の3文献でも、確かにそのような字体があり、波多野では「き」の終画に相当しそうな部分を持つ「幾」のくずし字もありました。
上に2つ並ぶ「幺」を「丶」と「ノ」で略すようになり、
これが続けて書かれるようになった結果が、「き」の1画目、横に貫く「一」が2画目、縦の貫きが3画目で、「人」の部分が4画目、というところでしょう。
なお、「幾」の終画である点は、くずし字では省略される場合があったようで、「き」では消えています。

さ(左)

「左」の二画目の左払いを次の「工」へ続けやすくするために、右に曲げてしまった
森岡, p8.)

森岡は言っています。
確かに、波多野では「左」のくずし字として左払いを右に曲げたものが1例だけ確認できました。
しかし、日中両方において、基本的に「左」の左払いはちゃんと左へ払い切っているか、精々縦になっている程度で、明らかに右に曲がることはほとんどなかったようです。
中国書道では、「h」の上を「一」が貫くような字体や、「ち」のような字体が見られました。

(2020/9/6追記 ここから)
巌谷修『行書草書大字典』(柏書房, 1983)には、左はらいを縦に書き、そのまま「工」へ筆を運んだ字も見られました。
これが崩れていくと、「さ」の形に近づくような気がします。

(2020/9/6追記 ここまで)

残り7字は次回以降に回します。

次回:ひらがな・カタカナ裏話(その4:字源の漢字の裏を取る(中編))