hの話(その9:"sh"のh)


▲シュークリームの「シュー」とは
フランス語で「キャベツ」を意味する
"chou"が由来です。
ちなみに「クリーム」は英語由来であり、
「シュークリーム」という言葉は
日本で生まれた和製外来語です。

前回:hの話(その8:英語の"gh"とドイツ語の"ch")

前々回にて、英語の"th"の綴りは、他の二重字"ch"や"sh"の影響を受けて復活したと記しましたが、
しかし現代フランス語には"ch"の綴りはあっても"sh"の綴りはないという疑問があり、
"sh"の綴りについて調べるこことしました。

先に断っておきますと、
ノルマン・コンクエストの時代において、当時のフランス語に"sh"の綴りがあったかどうかは、
今回の記事作成までにはわかりませんでした。
この件については、追って調査をしたいと思います。

英語における[ʃ]の発生

英語史において、[ʃ]の音は古英語の時代(5世紀〜12世紀)に発生します。
荒木一雄 et al.『古英語の初歩』(英潮社, 1993.)では以下のように解説されています。

scという綴り字は、古英語の初期から900年頃までに生じた音変化
(すなわち、[sk]>[skj]>[sxj]>[sj]>[ʃ])の結果出てきた[ʃ]と、
この変化をうけなかった[sk]のいずれかを表すため、与えられた語のscは
どちらの音であるのか、その区別が大切である。
(荒木 et al.(1993), p24)

また、大名力『英語の文字・綴り・発音のしくみ』(研究社, 2014.)でも、具体例を挙げて紹介されています。

古英語にはscという[ʃ]を表す二重字も存在しました。
これは元々[sk]という発音であったものが音変化により[ʃ]となったためにscで[ʃ]を表すようになったものです。
現代英語のdishは当時はdiscと綴っていました。
dishはdeskやdiscと語源が一緒ですが、deskやdiscは他の言語からの借入により英語に入ってきたもので、そのため[sk]→[ʃ]という音変化を受けていません。
(大名, p189)

元々「投げられるもの」という意味であった印欧祖語の"*dikskos"から派生した、ラテン語で「投擲用円盤」を意味する"discus"が、
古英語の時代に流入したものが後の"dish"に、
"discus"からイタリア語を経て「机」の意味を持った中世ラテン語(4世紀〜14世紀)の"desca"が中英語の時代に流入したのが後の"desk"に、
19世紀にレコード盤蓄音機を発明したベルリナーが「円盤」の意味を持つ"disk"から派生して使用したのが"disc"になったそうです*1


これにより、古英語では"sc"という綴りに2つの発音が共存することになりました。
しかし、"sc"という綴りが[sk]と発音するのか[ʃ]と発音するかについては明確な規則があり、混乱はなかったと考えられています。

"sh"の誕生

"sh"の綴りが誕生するのは、お馴染みノルマン・コンクエスト以降の英語である中英語の時代です。
この時代の英語で、/ʃ/の音は"sch", "sh", "ssch", "ssh"で表記され、scは/sk/か/s/の音しか担わなくなりました*2
何故"sh"の綴りが発生したかは明確ではありませんが、やはり"sc"を場面によって読み替えるのなら、
それぞれ別の綴りにしようという、至極当たり前な原因かもしれません。
あるいは、フランス語の流入により、今まで"sc"の読みを決めていた規則の例外が多く発生するようになり、
[sk]か[ʃ]かを識別する表記方法が求められたのかもしれません。
はたまた、"th"の綴りの復活時に私が推測したように、"sc"という綴りよりも"sh"という綴りの方がかっこよかっただけかも知れません。

しかし、[ʃ]の綴りについては中英語の時代の間、様々な綴られ方をされたようで、
"sh"の綴りに収束するには中英語末期の15世紀後半を待たなければなりませんでした*3

*1:寺澤芳雄『英語語源辞典』研究社, 1999.

*2:大名(2014), p190. 荒木 et al.: 中英語の初歩,1997, p27

*3:ジョルジュ・ブルシェ et al.: 英語の正書法 その歴史と現状, 荒竹出版, 1999, p85.