ひらがな・カタカナ裏話(その5:字源の漢字の裏を取る(後編))

ラスト4字を紹介します。

前回:ひらがな・カタカナ裏話(その4:字源の漢字の裏を取る(中編))

へ(部)

「へ」が「部」から生まれたという話は、以前ご紹介したとおりです。

参考:ひらがな・カタカナ裏話(その2:「へ」が「部」から出来たって本当?)

日本では「部」と書くところを「ア」の字のように書いている例が多くありましたが、
中国では(少なくとも今回参考にした3文献では)全くありませんでした。
これは日本特有の崩し方と言ってもいいのでしょう。

ところで、この「阝」は「邑」の字を崩した字ですが、
「邑」の字の崩し字の中には、「阝」と「ア」の合いの子みたいな字体が日中両方で見つかりました。

み(美)

これも以前にご紹介しました。

参考:ひらがな・カタカナ裏話(その1:「み」のはらいはどこから来たの?)

日中両方で、「美」の字を「み」のレベルにまで崩すことはなかったようです。
それでも例示の中には、これは「羙」を書いているなというものもちらほらありました。
字典には「美」と「羙」の通字関係についての記述はないので、
字典だけを読むと、これって本当に「美」?と疑問に思う人がきっといるでしょうね。

む(武)


▲中国東晋の書家
王羲之(303-361)の画
(藤原, p808.)


漢字の書き順は後付けで考えられたもの、という話はどこかでしたと思いますが、
この「む」についても、学校教育で教わる書き順とは異なる順番で書かれた「武」が、「む」の元となっています。
右図のように、終画の点が省略される場合もあり、こうなるといよいよ「武」の字とは思えなくなってきます。

を(遠)

これは日中双方で、「を」に近い形に崩された「遠」の字を見つけることができました。
「辶(辶)」を崩し字では「こ」の下半分のように書くことを知っていれば、
「遠」から「を」が生まれたことはそんなに不思議ではないと思います。
つまり、「を」の1画目、2画目と3画目の前半は「袁」を、3画目の後半が「辶」を、
それぞれ崩したものということです。

(2020/9/6追記)
次の記事を作成しました。
lar-lan-lin.hatenablog.com