ひらがな「つ」の由来について―音図及手習詞歌考の解説


大矢透『音図及手習詞歌考』に、「つ」についての記述がありましたので紹介します。

なお、原文は国会図書館のデジタルコレクションから参照できます。

音図及手習詞歌考 - 国立国会図書館デジタルコレクション


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(引用者註:ひらがなを、その由来となった漢字の音別に分類した図を指して)
右の図において、(それぞれ「と」「つ」「の」「こ」の由来の漢字である)止川乃己の三字(四字の誤記か?)をもって、
古音とせしは、仮名源流考の第四章第二類において、詳説せるところなり。
今この大要をいわば、周代古韻にては、止乃己は、共に同韻にてオイの韻、
川は焚順聞雲等と同韻にてウヌ韻なり。

しかして、韻鏡なる照母穿母牀母の文字は、古音にタ行の音なる端透定の三母の音に呼ぶこと、淸の錢大听が養新錄に、いちいち実例を挙げて論定せるところなり。

されば、止は照母にして、川は穿母なるが故に、止はトイにして、川はツヌとなるべき理なれば、乃己のノイ、コイと共に古韻なること、更に疑なければなり。

但し、ここにつに川字を当てたるにつきては、読者中、あるいは異論あるべし。そはつの字原につきては、種々の異説あること、岡田眞澄が仮字考に挙げたる新井白石の同文通考の肥人の書というより始めて、澤元愷の模微字説の鬥廣澤の門、僧全長の伊呂波字考錄の鬪、日本紀通證なる川の全訓、あるいは州の省文の音の数説あるが上に、近くは、故木村正辭翁の州字説ありといへども、いずれも確実なる根拠なきをいかにせん。

しかるに編者が、川字をもって当てたるは、正倉院古文書中、

 大寶二年御野國戸籍 阿尼つ賣

 同   豊後國戸籍 川内漢部佐美

 天平五年近江國志何郡計帳 私造川見賣 川造石弓

など見えて、川字を川と記し、津彌賣、川見賣、異人ながら、同名と見ゆるを川見と記せるは、川の同音なるを證すべく、これらにて奈良朝において、川字を川ともつとも記けるを證すべく、しかして、仮名沿革史科、空海の作なる沙門勝道の碑文の傍訓に、ツを川川とし、その次々のものに、川川川川川川一などを交用せるにて、つツの原字の、川なることは、疑うところなきに、周代古音研究上、川字のウヌ韻にして、端透の音なりしとの考證と、旁相いまちて、一定してまた動かざることとなれるなり。


(pp83-85、括弧書きは全て引用者註、また、一部表記は現代風に改めた)
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