はつがしら「癶」の漢字3選

発明の「発」や登山の「登」は、多くの場合、はつがしら「癶」という部首に分類されます。
ところで、この「癶」という部首は一体どういう意味なのでしょうか。

部首と言うのは意味を持っているものです。
きへん「木」を持つ漢字は木に関する漢字、
(例えば「桜」「梅」「松」や「板」「柱」「材」)
さんずい「氵」を持つ漢字水に関する漢字。
(例えば「海」「河」「滝」や「洗」「混」「炊」)
では、「癶」を持つ漢字は何に関する漢字なのでしょうか。

「癶」は揃えた両足


▲説文篆文の「癶」
(伏見, p1515.)


白川静「字通」によれば、「癶」は両足の並んだ形だそうです。

両足のならぶ形。[説文]二上に「𣥠は足剌𣥠たるなり。止■に從ふ。讀みて發の若くす」という。足がばらばらになるのではなく、両足をそろえて出発しようとする意で、発進の意である。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1282.)
※■は「止」の鏡文字

ですので、「癶」を部首に持つ漢字は、基本的には、この「並んだ両足」に関する漢字ということです。
「癶」は「𣥠」が変形したものと言っておおよそ間違いはありませんが、
別の形として、「业」のような形になったものもあります。
また、「祭」の冠のような形で書くこともありました。


▲宋代の政治家 蘇軾の「登」
(伏見, p1516.)


「登」は台上の両足

「字通」によれば、「登」は台の上にある両足を意味する会意文字です。

癶+豆。癶は両足をそろえる形で、出発の時の姿勢。豆は豆形の器。登るときの台とみてよく、登は登位・登高・登進の意。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1204.)


▲陳の僧 智永の「登」
(伏見, p1516.)


ところで、この「登」を元とした変体仮名として「*1」がありますが、この上半分は、実は先に紹介した「业」から来ていると考えられます。
そう考えないと、最初の縦の画の説明が付きません。

「發」は弓を引く姿勢

「発」の本字である「發」は、弓を引く姿勢を意味しています。
確かに、弓を引いているとき、両足はしっかり地についています。

旧字は發に作り、𣥠+弓+殳。𣥠は両足を開いて立つ姿勢、下部は弓を射る形。開戦に先だってまず弓を放つ意。[説文]十二下に「䠶、發するなり」と発射の意とするが、發には発動の意がある。それで軍を発し、また発揮・発明のようにもいう。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1283.)

「發」の字の「癶」部分は、よく「业」の形でも書かれたようです。


北魏時代の墓石に見られる「發」
(伏見, p1518.)


また、大陸中国で使われる漢字である簡体字では、「發(=発)」は「发」と書きますが、この字体も古くからある字体です。
但し、終画である右上の点は、打たれないことの方が多かったらしく、どうやら補空の点だったようですが。
(しかし、この点がないと、パッと見は「友」と見間違えそうですね)


▲晋の政治家 索靖の「發」
(伏見, p1518.)

何故「發」が「发」となったのかは、明らかにすることができませんでした。
先に見た、上半分が「业」で書かれた「發」を崩していった結果と見ることもできます。
個人的には、発音が同じor似ている「犮」の影響を受けているのでは、とも思いました。
実際、「髪」という漢字は、本字は「髮」であり、「友」と「犮」は混同されやすかったのだと考えられます。
(なお、「髪」も、簡体字では「发」と書かれます)

全く関係のない「癸」

「癸」という感じは現代では余り見かけない字ですが、
「甲」「乙」「丙」なら聞いたことがある人はいるでしょう。
一応、中学古文で返り点の一種としてまれに登場しますし、
国家資格である危険物取扱者試験でも「甲種」や「乙種」という種別があります。
(戦前は成績表が「甲」「乙」「丙」で付けられていましたが、もう70年以上も前の話)

で、「癸」も「甲」「乙」「丙」の仲間です。
十二支と似たような位置づけに、十干というものがあり、
「甲」「乙」「丙」は十干の1番目、2番目、3番目の漢字ですが、
これの10番目、最後の漢字が「癸」です。
読みは「キ」、十干で使う時は「みずのと」とも読まれます。

主な意味は「測る」ですが、どうやら元々は木で組んだ台座を表す漢字だったようです。

器を樹てるときの台座として用いる柎足の形。木を十字形に交差して組み、地において安定した座とする。[説文]十四下に「冬時、水土平らかにして揆度すべきなり。水、四方より流れて地中に入るの形に象る」とするが、卜文・金文の字形はその象としがたい。[説文]はまた字を「癸は壬を承け、人の足に象る」とするが、足の形ではない。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p236.)


▲説文篆文の「癸」
(伏見, p1515.)


篆字を見ると、いやはや、どうしてこれが「癸」になったのかという形をしています。
この字を何とか筆で書こうとしたときに、上半分を「𣥠」と見立て、それが「癶」に繋がったのかもしれません。

というわけで、「癸」は両足とは全く関係ないということになります。
字通でも下記のように書かれています。

(癶の項にて)
[説文]に登・癹の二字を属し、發(発)を弓部に置き癹声とする、癶は弓を射るときの、足の構えを示す形であろう。いま癸をその部に属するが、癸は拊足の形で、癶とは関係がない。
(白川: 字通, 平凡社, 1996, p1282.)

足を前後に並べると…

というわけで、「癶」は「𣥠」を由来とし、「並んだ両足」という意味を持ちます。
この両足を左右に並べるのではなく、上下に並べると別の漢字になります。
これが「歩」です。

「歩」という漢字の成り立ちとして、
『歩くことは、止まるのが少ないから「歩」と書く』という俗説がありますが、
元々「歩」は「步」と書き、これをさかのぼると「𣥗」となります。
つまり、前後に足を並べるのが「歩」なのです。

余談ですが、
「歩」は元々「步」だったというのは、「歩」を部品に持つ他の漢字を見てもわかります。
例えば、「危機に瀕する」の「瀕」の字、
拡大してよく見ると、「歩」ではなく「步」です。
これのさんずいが取れた「頻繁」の「頻」は、「歩」の字を使っています。
JIS漢字によくある、使用頻度の低い漢字は新字体に置き換えられなかった例です。

※記事中の「伏見」は、伏見冲敬: 書道大字典, 角川書店, 1974.

*1:画像はグリフウィキ(GlyphWiki)より、http://glyphwiki.org/wiki/u1b07b