「冶具」が「じぐ」なら「剣具」も「じぐ」なり

※本記事は特定の企業を揶揄する意図はありません。ご了承ください。

 

治具」という用語がある。主に工場などの製造現場で使われる言葉で、作業に用いられる道具という意味である。

治具」は英語の“jig”(ジグ、意味は同じ)を日本語化した言葉といわれている。そのため、「治具」を構成する「治」と「具」の漢字としての意味は、「治具」という単語の意味とは元来的には関係ない。もちろん、複数存在する「ジ」や「グ」の音をもつ漢字の中から、比較的適当なものを選んだのだと思われる。しかし、ものごとの順序としては、「ジグ」という言葉が先にあり、そこに「治」と「具」の漢字を充てたのであり、その逆ではない。

 

ところで、ときに「治具」を「冶具」と表記しているケースがある。一般的には、「治具」と「冶具」で意味は同じであるとされている。

 

実は、私はこの「冶具」という表記が好きではない。それは、規範的な日本語としては、「冶具」は「ジグ」と読めないからである。

 

ここで問題となるのは「冶」という漢字である。この漢字は音読みで「ヤ」、訓読みは「とける」や「いる」などがあり、単漢字として「ジ」の音は持っていない。金属を溶かす(融かす)ことや、鋳ることを意味する漢字であり、「冶金」(ヤキン)などの熟語で用いられる。

もっとも、「冶」を含む熟語でもっとも世の中で使われているのは「鍛冶」であろう。この熟語は「かじ」と読む。それゆえ、「冶」は「じ」という読みを持っていると思ってしまうのも無理はない。ところが「鍛冶」という熟語は「かじ」とは読むが、単漢字としての「鍛」や「冶」は「か」や「じ」という音を持たない。「鍛冶」という熟語になったときに限り、二字で「かじ」と読む。このような熟語の読みを熟字訓と呼ぶ。

熟字訓をもつ熟語は日々の生活の中にもある。例えば「時計」もその一例だ。「時」という単漢字に「と」という読みはない。「二十歳」もそうである。「二」「十」「歳」それぞれが「は」「た」「ち」という音を持っているわけではない。それぞれの漢字が組み合わさって「時計」「二十歳」となったときに限り「とけい」「はたち」と読まれるのである。

熟字訓が発生する経緯はいくつかあるが、そのひとつに、ある意味をもつ言葉が2つ存在し、一方の熟語に他方の読みを充てて生まれるケースがある。「二十歳」はその一例だ。20歳を意味する日本古来の言葉として「はたち」が存在し、同じ意味を持つ「二十歳」という熟語にその読みを充てたのだ。古い日本語は独自の文字を持たなかったため、中国大陸からもたらされた漢字の中から、同じ意味を持つものを選び、そこに日本語としての読みを持たせた。それが二字以上の熟語に対しておこなわれたのが「二十歳」等の熟字訓である。

さて、「鍛冶」の話に戻ると、「かじ」という言葉も日本古来のことばである。それを漢字で表すにあたり、金属を溶かすという意味を持つ「」という漢字と、溶かした金属を叩くという意味を持つ「」という漢字を組み合わせた熟語「鍛冶」を用いたことで、この熟語に「かじ」という読みが生まれた。ちなみに、この熟語はそのまま音読みした「タンヤ」という読みも持つ。しかし、そう読まれるケースはあまりない。

さてこのような経緯を持つ「鍛冶」であるが、古くから「」や「鍜治」と表記されることもあった。一説では「鍜治」と「鍛冶」は別々の意味であったが、お互いが混同された結果、前者の「カジ」という読みが後者にも用いられるようになったと言われる。

鍜治」は音読みで「カジ」と読み、単漢字としても「」「」はそれぞれ「カ」「ジ」と読む*1。「鍛冶」は先述のとおり熟語として「かじ」と読む。しかし、両者を組み合わせた「」は、規範的な日本語としては「かじ」と読まない。しかし、古くから「」という表記が使われていたこともあり、地名や人名などの固有名詞には「」の表記が見られることがある。そのため、「」という表記は“日本語として間違っている”わけではない(私がこの記事で“規範的な日本語として「」は「かじ」と読まない”という表現を使っている理由はそれである)。ただし、普通名詞としては「鍛冶」と表記するのが一般的である。

 

さて、だいぶ前置きが長くなってしまったが、以上のような背景からも、規範的な日本語として「冶具」も「ジグ」と読まない。もし「冶具」を「ジグ」と読むのなら、例えば「剣具」も「ジグ」と読むことになる。なぜなら「真剣」と書いて「マジ」と読むからだ(これは熟字訓というより当て字であるが、熟字訓の中にはある意味で当て字として生まれたものもあるので、両者の境界は曖昧である)。

*1:なお、手元にある「三省堂 五十音引き漢和辞典」によれば、「鍜」は、「しころ」とも呼ばれる首の後部を守る鎧を意味する熟語「錏鍜」(あか)にしか用いられない漢字であるという趣旨の説明しか書いてない。