「㱐」はどこから来たの?

以前の記事で欠画文字について紹介しました。
lar-lan-lin.hatenablog.com

この記事を書いた後で、たまたまWikipediaで中国語の「避諱」のページをみたところUnicodeに掲載されている欠画文字として、以下の4つが紹介されていました。

  • 𤣥(U+248E5)
  • 𤍞(U+2435E)
  • 𢎞(U+2239E)
  • 㱐(U+3C50)

このうち、最初の2つは清朝康煕帝の諱である玄燁それぞれの欠画文字、次の1つは同じく清朝乾隆帝の諱である弘暦の「弘」の欠画文字です。
問題は4番目の武の欠画文字で、これの由来がすぐにはわかりませんでした。少なくとも清朝の歴代皇帝に「武」を諱にもつ皇帝はいません。この欠画文字「㱐」はいったいどこから来たのでしょうか?

「㱐」はUnicodeのU+3C50に配置されている文字で、「CJK統合漢字拡張A」と呼ばれる領域内にあります。この領域は、漢字文化圏である中国・日本・韓国が共通の文字コード規格をつくることを目的に設けられたもので、「拡張A」は1999年のUnicode 3.0で追加された領域です*1
CJK統合漢字のそれぞれの漢字にはその出典元となる原規格が存在し、少なくとも一次資料的には「幽霊文字」(この世に存在しない文字)ではないことになっています*2Unicode公式のドキュメントを確認すると、この「㱐」の字の原規格は、原典K3と呼ばれる韓国の規格PKS C 5700-2 1994のみとなっています。これだけを見ると、この漢字は韓国で使われていた文字であるの可能性があります。

Unicode, Inc. のCJK Unified Ideographs Extension Aから抜粋

高麗王の恵宗の諱

朝鮮半島でも避諱の風習があった時期があり、特に高麗王朝ではその傾向が強かったようです。そして高麗王の恵宗は諱が「武」であったため、欠画文字を使ったり同音の「虎」に換字する例があったようです。
例えば崔の論文「우왕 9년 法弘山 白蓮庵에서 조성된 『妙法蓮華經』의 역사·문화적인 성격」には以下のような記載があります。

가려진 간행정보에는 洪武의 武자가 고려 혜종의 이름 글자이므로, 㱐자로피휘결획하여 고려 왕실의 권위를 반영하고 있다. 이러한 현상에서 보물 제960호 󰡔묘법연화경󰡕 권4~7은 24자본의 목판을 다시 판각하는 불사가 시작되는 조선 태조 7년 이전부터 조선 태조 1년 사이에 인출되었다고 짐작해 볼 수있다. 이처럼 조선 태조 때 백련사 간행 목판이 보존되어 있는 상태에서, 태조7년부터 정종 1년 사이에 다시 판각불사를 수행한 연유는 백련사 간행의 간행정보에 고려 왕실의 권위가 담겨 있으므로, 이 목판에 대한 원천텍스트로서의활용이 제한되었기 때문이라 진단해 볼 수 있을 것이다.

これをDeepLで翻訳した結果が以下のとおりです。翻訳精度は悪いですが、大意は掴めますね。

隠された出版情報には洪武の武字が高麗惠宗の名前文字であるため、㱐字で囲み、高麗王室の権威を反映しています。被휘결획して高麗王室の権威を反映している。このような現象から、宝物第960号 󰡔 妙法蓮華経󰡕 卷4~7は24字の木版を再版刻する仏事が始まった。は朝鮮太祖7年以前から朝鮮太祖1年の間に引き出されたと推測できる。このように、朝鮮太祖時の白蓮寺刊行の木版が保存されている状態で、太祖7年から正宗1年の間に再版された。7年から正宗1年の間に再び版刻仏事を行った理由は、白蓮寺刊行の刊行の情報に高麗王室の権威が含まれている。情報に高麗王室の権威が含まれているので、この木版に対する源泉テキストとしての活用が制限されたからだと診断されました。活用が制限されたからだと診断してみることができるだろう。

ここで意外なのは、高麗の出版物において明王朝元号である「洪武」よりも、自国の君主に対する避諱を優先させたということです。当時、高麗は明王朝冊封を受けている立場であり、高麗王は形の上では、明の皇帝から王に封ぜられて高麗を統治しているという立場です。その高麗において、宗主国元号よりも自国の君主の諱を優先させるというのは予想外でした。当然、「㱐」を使っている文書は国内向けであり、国外向けのものではこの欠画文字を使うことはなかったでしょうし、そもそもこの時代の識字率や文書の流通範囲を考えると、身内の中だけで使う文書内において、自分たちの君主に敬意を示して「㱐」を使っていたのかもしれません。

*1:興味深いことに、中国の欠画文字の方が後から登録されているんですね。「𤣥」「𤍞」「𢎞」はいずれも拡張Bの領域にあります。

*2:原規格の方に幽霊文字が登録されている場合はその限りではありませんが。

goの過去形がwentなのは「4個」を「よんこ」と読むのと同じ(中学生の英語なぜなぜシリーズ その4)

中学英語で納得いかないものランキングの上位に入ってくるのがいわゆる「不規則変化」だと思いますが、その中でもgoの時制変化go - went - goneはその筆頭に入るでしょう。何しろ"go"や"gone"と似ても似つかない"went"が登場するからです。
なぜ"go"の過去形は"went"なのでしょうか?

もともと"went"は別の単語の過去形だった

実は、古くは"go"の過去形は、他の一般動詞と同様に"go"と似た形でした。寺澤芳雄『英語語源辞典』には以下のような記載があります。

OE(引用者註:古英語)では過去形に別語根のēode, ēodonが用いられ,ME(同:中英語)yede, yodeに発達したが,15C(同:15世紀)に(同:イギリス)南部からしだいに,WENDの過去形WENTに取って代わられるに至った.北部では現在形から造られたgaedが用いられるようになった.このように語形変化の一項に別語根の独立語を補充することをsuppletion(補充法)という.

上記にあるとおり、"went"はもともと、「転じる」「行く」という意味の別単語"wend"の過去形でした。"wend"という単語は、現在は古語という扱いで基本的にお目見えする機会はないでしょう。どういう理由なのかはわかりませんが、15世紀に"go"の過去形に、類似の意味をもつ"went"を使うようになり、現在に至っているようです。ちなみに"went"を”go"に取られた形になった"wend"は、過去形を"wended"という規則変化したものに改めたそうです。

日本語での類例

日本語でも上述のような補充法の例があります。一番身近なのは、数字4や7の読みでしょうか。
東アジアの言語では、数字は2種類の読み方があることが多いです。日本語を例に挙げれば、

  • イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、キュウ、ジュウ
  • ひ、ふ、み、よ、いつ、む、なな、や、ここの、とう

の2つです。前者は漢字のもともとの読み(音読み)で、後者は漢字が入る前の日本独自の読み(訓読み)ですね。
音読みと訓読みは混ざらないのが普通ですが、4と7については、音読みの中に訓読みの「よん」や「よ」、「なな」が混ざることがあります。
例えば1個、2個と「個」を付けて数えるとき、1個は「イッコ」*1、2個は「ニコ」と読むのが一般的ですが、4個は「よんコ」となり「シコ」と読まれることはありません。
4時や4回も同様です。「よジ」や「よんカイ」と読まれるのが普通で、「シジ」「シカイ」と読まれることはまずないです。これも、"went"同様に、訓読みの「よん」「よ」が音読みの「シ」に代わられる現象です。英語の"went"とは違い、読みが変わるだけであり、また、音読みの「シ」が完全に消えたわけでもありませんが、似た現象には違いありません。
明確な理由は明らかになっているとはいいがたいですが、例えば以下のことが考えられます。

  • 「死」と同音の「シ」を避けた
  • 語感から、1拍の「シ」でなく2拍の「よん」にした(1から数える際はイチ、ニ、サン、シ…となるが、10から数える際はロク、ゴ、よん、サン…となる)

単語レベルで変わったものと言えば、「おとこ」と「おんな」の関係があります。もともと「おとこ」を対をなす単語は「おとめ」であり、語末の「こ」で男性を、「め」で女性を意味していました。他方、「おんな」―これは古くは「おみな」という言葉でしたが―と対をなす単語はいまは使われない「おぐな」であったと考えられ、こちらは語中の「ぐ」で男性を、「み」で女性を意味していました。この2系統の対は奈良時代にはすでに混用が見られたようで、現代では「おとこ」と「おんな」が対として使われています*2


▲「補充法」でググったら見つけた本です。Kindleで0円でしたので私も早速読んでみましたが、より細かいお話を知りたい場合はおすすめです。

前回の記事
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*1:「イチコ」の「チ」が促音化したもの

*2:「おとめ」の対はなんでしょうか?「ますらお」とかですかね?

hの話 まとめ記事

「hの話」は2023年7月時点で9つの記事があります。この記事ではこれら9つの記事を整理してみます*1

hの話(その1:黙字のh)

  • 発音されない"h"についての簡単な紹介
  • ヨーロッパ諸語に限らず、日本語でも類似の現象が起きていることの紹介

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hの話(その2:音を失くしたhの役目)

  • 音価を失った"h"に与えられた役割(別の子音の表現や、母音の長音化)

lar-lan-lin.hatenablog.com

hの話(その3:hとc)

lar-lan-lin.hatenablog.com

hの話(その4:hの役割が変わった時)

  • 古代ギリシア語においてΗ(イータ)の音価がどのように変化したか(/h/音を失ったか)の紹介

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hの話(その5:日本語史におけるh)

  • 日本語において「は」「ひ」「ふ」「へ」「ほ」の音価がどのように変化したかの紹介

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hの話(その6:英語の"th"(前編))

  • 現代英語で"th"の綴りで表現される[θ]および[ð]が、どのように綴られてきたかの紹介

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hの話(その7:英語の"th"(後編))

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hの話(その8:英語の"gh"とドイツ語の"ch")

  • 祖先を同じくする英語の"gh"とドイツ語の"ch"それぞれについての音価の変化を紹介

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hの話(その9:"sh"のh)

  • 英語で[ʃ]の音価をもつ"sh"の綴りの変化について

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こうして改めて眺めてみますと、英語の"h"を含む二重音字(文字を2つ組み合わせることで、それぞれの文字がもつ音価とは異なる音価を表現する綴り)は"ph"だけ紹介できてないですね。

綴り 音価 紹介記事
ch /ʧ/, /k/ hの話(その3:hとc) - Large Language Linkage
gh ゼロ音価, /f/ hの話(その8:英語の"gh"とドイツ語の"ch") - Large Language Linkage
ph /f/ (記事なし)
sh [ʃ] hの話(その9:"sh"のh) - Large Language Linkage
th [θ], [ð], [t] hの話(その6:英語の"th"(前編)) - Large Language Linkage, hの話(その7:英語の"th"(後編)) - Large Language Linkage

*1:もっぱら自分向けの記事?

忌避の表記

名前というのは大切であり、洋の東西を問わず相手の名前を直接呼ぶことは不敬とみなされる文化がある。
例えば日本では、天皇皇后(や上皇上皇后)を「陛下」、皇太子皇太子妃をはじめとするそのほかの皇族を「殿下」と呼ぶが、これはそれぞれ相手を直接呼ぶことを避け、間に入って取り次ぎをする人がいる場所である陛下(階段の下)や殿下(殿舎の下)で呼称を代えたことが起源と言われている。歴史ドラマの中では主君を「殿」や「御屋形様」、その妻を「北の方」「奥方」と呼ぶのも、相手の名前を直接呼ばず、その人がいる場所で読んだことが由来である*1。他人の妻の敬称である「奥さん」も同じ由来だ。
海外でも、例えばイギリスでは国王は"His Majesty"、女王は"Her Majesty"と呼ばれる。これは直訳すると「彼/彼女の威厳」であり、名前で呼ばずにその人の「威厳」を呼ぶことで代えている。
この文化は特に中国大陸で顕著であり、清朝時代までの中国人の名前は「姓」「名」の他に「字(あざな)」があるのが一般的であったが、この中の「名」は他人が軽々しく読んではいけない文化であった。例えば三国志で有名な諸葛孔明は、「諸葛」が姓で「孔明」は字である。諸葛孔明諸葛亮とも呼ばれるが、この「亮」が名である。当時は姓と字を組み合わせて呼ぶのが一般的であり、名は本人や目上の人が呼ぶときにのみ使うこととされた。つまり一般には「諸葛孔明」と呼ばれ、「諸葛亮」と呼ぶのは本人か目上の人だけであったとされる*2。軽々しく読んではいけないこの「名」は、正しくは「諱」と呼び、日本では「忌み名」から「いみな」と訓読される。


諸葛孔明は何かとマンガ・アニメで題材にされますよね。最近も「パリピ孔明」という作品がありました。


王様の名前を避ける

一般的な人の諱でさえ呼ぶのを憚られたわけだから、皇帝の諱ならなおさらである。古代中国では長い間、皇帝の諱に使われている漢字は使ってはならないとする習わしがあった。これを避諱(ひき)と呼ぶ。例えば、漢の皇帝、劉邦の忌み名である「邦」という漢字は、漢王朝の間は使ってはいけない漢字であった。そのため、「邦」という字を避けるために「国」の字が代わりに使われたり、あるいは「 」の空白にしてしまうという方法で対応していた。また、字体を変えて対応するという方法もあった。清王朝康熙帝の諱「玄燁」や、乾隆帝の諱「弘暦」に使われている漢字を避けるために、例えば「玄」や「弘」の最終画を書かない字(これを「欠画文字」あるいは「欠筆文字」と呼ぶ)で代えるという方法もあった。康熙帝と言えば著名な漢字辞典である「康煕字典」の編纂を命じたことでも有名であるが、この字典では「玄」およびそれを含む漢字において、「玄」は欠画の字体で掲載されている。


観音菩薩、いわゆる「観音様」は、「観世音菩薩」がもともとの名前です。
しかし、唐の皇帝であった太宗の諱が「世民」であったために「世」の漢字が避けられ、結果として「観音」でも通じるようになりました。


欠画文字

日本でも、中国のように天皇の諱を避ける文化がありました。明治の初めには、当時の今上天皇である明治天皇や、その先代、先々代の諱を避けるために、3つの漢字については終画を欠いた欠画文字を使うことを定めた法律が制定されたことがあります*3


明治元年行政官布告第821の抜粋。『法令全書』から引用。


ただし、この法律は数年後にすぐに廃止されました。背景には、外来の風習を排除するという明治政府の方針(欠画の風習はもともと中国の風習)や、戸籍制度を制定するにあたり、避諱は都合が悪い(天皇が変わるたびに避諱を理由とした改名が発生してしまうし、そもそも戸籍制度を制定するにあたり今まで自由に行われていた個人の改名を制限したい)というものもあった*4

神の名を避ける

古代のヘブライ語では、古代のギリシャ語と同じように、アルファベット一文字ずつに数字が割り当てられており、アルファベットを並べることで数字を表記していました。基本的にはアルファベット順に1、2、…と9まで割り当て、そのあとは10、20、30、…と90まで割り当て、という感じです。11は10と1で、12は10と2で示すのですが、このときに15と16の表記が神名である“YHWH”(神聖四文字)の略記である“YH”および“YW”とそれぞれ同じになってしまいます(10が“Y”に、5が“H”に、そして6が“W”にあたる)。そこで、それを避けるために、15は10+5ではなく9+6と、16は10+6ではなく9+7と分解して、“YH”や“YW”とならないようにしていました*5
現在、イスラエル等で使用されている現代ヘブライ語では、1, 2, 3のような算用数字(アラビア数字)を使うので、上記の問題に遭遇することはないと思います。

*1:日本では一般的に建物の南側を正面としたので、建物の奥にいる人「奥方」が「北の方」となった。

*2:ただし諸葛亮の場合は、その君主である劉備は敬意をこめて「諸葛孔明」と呼んでいたと言われている。

*3:本文を国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。 法令全書 慶応3年 - 国立国会図書館デジタルコレクション

*4:林大樹, et al. 近世公家社会における避諱と改名. 近世の天皇・朝廷研究: 大会成果報告集, 2013, 5: 119-192.

*5:河野ら, 言語学大辞典 別巻 世界文字辞典, 三省堂, 2001, 891

「ないときはない」と「ないときがない」の違い

ふと会話の中で「ないときない」というフレーズが出てきた。

「ないときない」という表現は「ないとき●ない」の●の部分にある助詞が省略された表現であると理解したが、この省略された助詞が"は"なのか"が"なのかで意味が変わるな、と考えた。

  1. ないときはない:「”ない”というケースでは本当に"ない"のだ」というトートロジー的な意味。
  2. ないときがない:「"ないとき"というケースはない」つまり「いつも"ある"」という意味。

なぜ"は"と"が"で意味が正反対になってしまうのだろうか、ちょっと考えてみた。

なお、冒頭で取り上げた「ないときない」は語尾が下がる平叙文であり、「ないときない?」のような語尾が上がる疑問文ではない。「ないときない?」は「ないときはありますか?」という単純な質問の意味や、「ないケースがあるよね?」という確認の意味が考えられる。

「●ときは●」は慣用的表現

最初は"は"と"が"の意味の差異から生まれてくるのかと考えたが、最終的には以下の考えに落ち着いた。

  • 「●ときは●」というのは「●のときはどんなときでも●」という意味の慣用的表現であり、●には多くの場合動詞が入る。
  • 例えば、「死ぬときは死ぬ」は「死ぬときはどんなときでも例外なく死ぬのだ」という意味になるし、「来るときは来る」は「来るときはどんなときでも例外なく来るのだ」という意味になる。
  • この表現では●に形容詞が入ることもある。「ないときはない」というのは「ないときはどんなときでも例外なくないのだ」という意味になる。  

  • 他方で「ないときがない」というのは、述語"ない"に対して、その主語が"ないとき"であるということを、主語を意味する助詞"が"が担っていると理解できる。

  • したがって意味としては"ないとき"を"ない"で否定しているので、「ある」という意味になる。

ちなみに「●ときは●」という表現は、●に正反対の述語を入れて「①ときは①だし、②ときは②」という表現で使われることが多い気がする。

  • あるときはあるし、ないときはない
  • 食べるときは食べるし、食べないときは食べない
  • 行くときは行くし、行かないときは行かない

"は"と"が"の違いをもっと知りたい人向け

この件については、最初、以下の本に何か書いてないかなとみてみました。日本語の"は"と"が"の違いについて詳しく知りたい人にはおすすめの一冊です。

「冶具」が「じぐ」なら「剣具」も「じぐ」なり

※本記事は特定の企業を揶揄する意図はありません。ご了承ください。

 

治具」という用語がある。主に工場などの製造現場で使われる言葉で、作業に用いられる道具という意味である。

治具」は英語の“jig”(ジグ、意味は同じ)を日本語化した言葉といわれている。そのため、「治具」を構成する「治」と「具」の漢字としての意味は、「治具」という単語の意味とは元来的には関係ない。もちろん、複数存在する「ジ」や「グ」の音をもつ漢字の中から、比較的適当なものを選んだのだと思われる。しかし、ものごとの順序としては、「ジグ」という言葉が先にあり、そこに「治」と「具」の漢字を充てたのであり、その逆ではない。

 

ところで、ときに「治具」を「冶具」と表記しているケースがある。一般的には、「治具」と「冶具」で意味は同じであるとされている。

 

実は、私はこの「冶具」という表記が好きではない。それは、規範的な日本語としては、「冶具」は「ジグ」と読めないからである。

 

ここで問題となるのは「冶」という漢字である。この漢字は音読みで「ヤ」、訓読みは「とける」や「いる」などがあり、単漢字として「ジ」の音は持っていない。金属を溶かす(融かす)ことや、鋳ることを意味する漢字であり、「冶金」(ヤキン)などの熟語で用いられる。

もっとも、「冶」を含む熟語でもっとも世の中で使われているのは「鍛冶」であろう。この熟語は「かじ」と読む。それゆえ、「冶」は「じ」という読みを持っていると思ってしまうのも無理はない。ところが「鍛冶」という熟語は「かじ」とは読むが、単漢字としての「鍛」や「冶」は「か」や「じ」という音を持たない。「鍛冶」という熟語になったときに限り、二字で「かじ」と読む。このような熟語の読みを熟字訓と呼ぶ。

熟字訓をもつ熟語は日々の生活の中にもある。例えば「時計」もその一例だ。「時」という単漢字に「と」という読みはない。「二十歳」もそうである。「二」「十」「歳」それぞれが「は」「た」「ち」という音を持っているわけではない。それぞれの漢字が組み合わさって「時計」「二十歳」となったときに限り「とけい」「はたち」と読まれるのである。

熟字訓が発生する経緯はいくつかあるが、そのひとつに、ある意味をもつ言葉が2つ存在し、一方の熟語に他方の読みを充てて生まれるケースがある。「二十歳」はその一例だ。20歳を意味する日本古来の言葉として「はたち」が存在し、同じ意味を持つ「二十歳」という熟語にその読みを充てたのだ。古い日本語は独自の文字を持たなかったため、中国大陸からもたらされた漢字の中から、同じ意味を持つものを選び、そこに日本語としての読みを持たせた。それが二字以上の熟語に対しておこなわれたのが「二十歳」等の熟字訓である。

さて、「鍛冶」の話に戻ると、「かじ」という言葉も日本古来のことばである。それを漢字で表すにあたり、金属を溶かすという意味を持つ「」という漢字と、溶かした金属を叩くという意味を持つ「」という漢字を組み合わせた熟語「鍛冶」を用いたことで、この熟語に「かじ」という読みが生まれた。ちなみに、この熟語はそのまま音読みした「タンヤ」という読みも持つ。しかし、そう読まれるケースはあまりない。

さてこのような経緯を持つ「鍛冶」であるが、古くから「」や「鍜治」と表記されることもあった。一説では「鍜治」と「鍛冶」は別々の意味であったが、お互いが混同された結果、前者の「カジ」という読みが後者にも用いられるようになったと言われる。

鍜治」は音読みで「カジ」と読み、単漢字としても「」「」はそれぞれ「カ」「ジ」と読む*1。「鍛冶」は先述のとおり熟語として「かじ」と読む。しかし、両者を組み合わせた「」は、規範的な日本語としては「かじ」と読まない。しかし、古くから「」という表記が使われていたこともあり、地名や人名などの固有名詞には「」の表記が見られることがある。そのため、「」という表記は“日本語として間違っている”わけではない(私がこの記事で“規範的な日本語として「」は「かじ」と読まない”という表現を使っている理由はそれである)。ただし、普通名詞としては「鍛冶」と表記するのが一般的である。

 

さて、だいぶ前置きが長くなってしまったが、以上のような背景からも、規範的な日本語として「冶具」も「ジグ」と読まない。もし「冶具」を「ジグ」と読むのなら、例えば「剣具」も「ジグ」と読むことになる。なぜなら「真剣」と書いて「マジ」と読むからだ(これは熟字訓というより当て字であるが、熟字訓の中にはある意味で当て字として生まれたものもあるので、両者の境界は曖昧である)。

*1:なお、手元にある「三省堂 五十音引き漢和辞典」によれば、「鍜」は、「しころ」とも呼ばれる首の後部を守る鎧を意味する熟語「錏鍜」(あか)にしか用いられない漢字であるという趣旨の説明しか書いてない。

ひらがな・カタカナ裏話(その6:「お」の点は補空の点か?)

前回の記事はこちら:
lar-lan-lin.hatenablog.com


ひらがなの「お」は漢字の「於」の草書から生まれたとされています。
「於」の左側の「方」が「お」の1画から2画の途中までに変わるのは納得できるにしても、
「於」の右側の4画が「お」の2画後半と終画の点に変わるというのは、すんなり納得できるものではありません。
特に、「お」の最後の点は、「於」の右上の「人」に相当する筆画なのでしょうか?
それとも、特に「於」からの由来はない、補空の点なのでしょうか?
伏見冲敬『書道大字典』(角川書店、1974)から、推測してみます。

補空の点ではなさそう

結論から言うと、補空の点ではなさそうです。
補空の点である場合は、点がない字体も散見されるのが一般的ですが、
「於」については、1例しか見つけることができませんでした。

一方で、「お」に近い字体で、右上の点が「人」の形に近いものが1例見つけられました。
「お」の終画の点は、「於」の右上の「人」が由来とみてよいと思います。

ところで、「於」の左側の「方」ですが、「木」や「ネ」に変形するものも散見され、
特に「オ」の形に変形するものは多くありました。



他の「方」を扁に持つ漢字「施」でも、「オ」に変形した書体を見つけられたので、
「方」が「オ」に変形するのはよくあることのようです。