数字の「8」が書きづらい!

数字の「8」が書きづらい!

左が失敗した「8」、右が成功した「8」です。

学生の頃はそんなこと余り考えたことなかったのですが、
社会人になってから、手書きする機会が減ったせいなのか、
どうも数字の「8」が上手く書けない事態が多発しています。
具体的には、「8」の下の丸が潰れてしまい、
全体として扇型のような感じになってしまいます。

そもそも、数字の「8」って他の数字と比べて書きにくいし、
書くのに時間が掛かっているような気がします。
(ちょっとググってみましたが、どの数字が一番書くのに時間がかかるかの
データは見つけられませんでした。これは自分で検証してみるしかない…?)

8はどのようにして今の形になった?

数字の「1」から「9」、そして「0」までの数字は、
日本では「アラビア数字」あるいは「算用数字」と呼ばれ、
「一」から「九」、そして「零」「〇」までの数字の「漢数字」と
区別されています。

現在の形のアラビア数字は、15世紀のヨーロッパで標準形として定まりました。
15世紀と言えば、丁度、活版印刷が発明されたころです。
それまでは、手書きが主流でしたので、様々な字形が存在し、時代によっても地域によってもまちまちだったはずです。
それが活版印刷の発明により、地域が違えども、時代が進んでも、字形が変わらないようになりました。
ではそれまで「8」の字体はどのようであったのでしょうか。

10世紀にはもう「8」の形になっていた

世界の文字研究会『世界の文字の図典』によれば、
数字の「8」は10世紀には既に、今の形になっていたようです。

ヨーロッパにアラビア数字が入ってきたのは、10世紀末だそうです。
実は、このアラビア数字は、元々インド発祥で、アラビア文化圏を経由してヨーロッパに入ってきたため、
「アラビア数字」と呼ばれるようになりました*1
この頃の字体を見ると、「2」から「5」までは今の字体とは全く異なっていることがわかります。
一方で、「1」や「6」から「9」までの字体は、今とほとんど変わりません。
というわけで、遅くとも10世紀には、「8」の字体は完成していたことになります。

元々は「S」のような形だった

矢島文夫『世界の文字大事典』*2によれば、
アラビア数字の元になった数字は、紀元前2世紀に生まれ、
そのころの「8」は「S」のような形をしていたようです。

それがインドを中心に世界中に広まる中で様々な形の字形が生まれ、
アラビア西部では「8」のような形に変化し、それが10世紀にヨーロッパに伝わり、
今の「8」になったそうです。

色々な数字

*1:丁度、中国発祥のサツマイモが、薩摩(現在の鹿児島の一部)を経て日本にもたらされたために、「サツマイモ」と呼ばれているのと似ていますね。

*2:下図は別文献からの引用ですが、その文献を入手することはできませんでした。 代わりに、同じ著者の別の文献をネットで閲覧することができ、同じ図が掲載されています。(p396) http://www.ms.uky.edu/~sohum/ma330/files/Ifrah_numbers.pdf

「止」に関する漢字4選

以前、「癶」は「止」を左右に2つ並べた部首であることを紹介しました。
その時に、「止」を上下に2つ並べた漢字が「歩」であるということを述べました。
lar-lan-lin.hatenablog.com

今回は、「歩」を始めとした、「止」を含む漢字をいくつか紹介いたします。

f:id:lar-lan-lin:20190629180134j:plain:w100
「歩」は、先に述べた通り、「止」を上下に2つ並べたものが由来です。

左足の足あと止+右足のあしあと少。左右の足あとを連ねて歩行の意とする。
白川静『字通』, p1431)

「歩」の字体には、上の「止」が「山」に替わったものがあります。
補空の点が打たれたものもありますね。
f:id:lar-lan-lin:20190629180214j:plain:w100
f:id:lar-lan-lin:20190629180215j:plain:w100

f:id:lar-lan-lin:20190629180243j:plain:w100
「正」も下半分は「止」です。
由来は下記にある通りで、ちょっと意外に感じるかもしれませんが、
時々ぎょっとするような由来を持つ漢字に出会うこともありますので
(「臣」や「民」や「県」など)
それと比べればまだまだ。

一+止。卜文・金文の字形は、一の部分を囗の形に作り、囗は都邑・城郭の象。
これに向かって進む意であるから、正は征の初文。
征服者の行為は正当とされ、その地から貢納を徴することを征といい、
強制を加えて治めることを政という。
(同, p894)

f:id:lar-lan-lin:20190629180244j:plain:w100
この字体は、「囗」が「二」の形になったものでしょうか。

「武」については、「戈を止める」という説が有名ですが、
『字通』では俗説として書かれています。
まぁ普通に考えればそうでしょう。
そんなひねくれた由来を持つ漢字は「幸」くらいで十分です。

止+戈。止は趾の形で、步(歩)の略字。
戈を執って前進することを歩武という。
〔説文〕十二下に〔左伝、宣十二年〕「楚の荘王曰く、夫れ武は功を定め、兵を戢む。故に止戈を武と為す」の文を引いて、武を止戈の義とするが、歩武の堂々たることをいう字である。
(同, p1373)

先ほどの「武」の「止」は、「歩」を略したものだと説明されていましたが、
こちらの「歳」については、「歩」が上下に分断されている、とされています。

字の初形は犠牲を割く戉(鉞)の形。
のちその刃部に步(歩)を大小に分けてしるし、歳の字形となった。
従って今の字形は、戉+歩。
(同, p596)

引用した文の後には、どうしてこのような成り立ちの漢字が「とし」を意味するようになったかも記されていました。
それによれば、「歳」は犠牲を割く(=戉)儀式に向かう(=歩)ことを意味し、
その儀式は年に1回行われることから、「歳」そのものに「とし」という意味がついたということでした。

※記事中の画像は、伏見冲敬: 書道大字典, 角川書店, 1974.

しんにょう「辶」いろいろ

 

部首である「辶」、読みは「しんにょう*1」ですが、
「道」「通」「運」など、感覚的には道に関係する漢字についているような
気がします。

今回は、この「辶」について、その由来について調べてみました。

 

「辶」の由来

「辶」は元々、「彳」と「止」を合わせた「辵」という形です。
「辵」の上3本の払いが、「彳」を崩した形です。

f:id:lar-lan-lin:20181119200439j:plain

甲骨文では、十字路を意味する「行」と足を意味する「止」を組み合わせた形で
示されているので、「行」の左側と「止」が「辵」になったと考えるのが
通説となっています。

画像は上げませんが、日通こと日本通運のロゴは「通」の字ですが、
この「辶」は比較的「辵」に近い形をしています*2

 

点の数は1つ?2つ?

しんにょうは、「辶」の古い形として「辶」が使われることがあります。
元々の形が「辵」ですから、形が次第に省略されて「辶」になり、
更に省略されて「辶」になったのでしょう。

中国ではかなり古い時代から「辶」の形まで省略されて使われていました。
行書ではこの1つの点さえも省略され、棒2本であったり、
更に省略して横棒1本にまでになっているものもあります。

f:id:lar-lan-lin:20181119203302j:plain

f:id:lar-lan-lin:20181119203408j:plain

f:id:lar-lan-lin:20181119203504j:plain


この最終形態については、以前、ひらがなの「を」の成り立ちを紹介した時にも触れました。

lar-lan-lin.hatenablog.com

 

上記で紹介した漢字は全て「近」ですが、
下記のように、「止」と「斤」を上下に並べた形もありました。
f:id:lar-lan-lin:20181119203515j:plain

 

※写真は全て、伏見冲敬, 書道大字典, 角川書店, 1974.

*1:「しんにゅう」とも

*2:余談ですが、子どもの時分に、近所の日通の倉庫に掲げられていたロゴを見て、不思議な形だと思った記憶があります。

攻撃戦だ(공격전이다)を漢字交じりハングルに直してみた

デスク周りを整理していたら、北朝鮮の歌である「攻撃戦だ(공격전이다)」の歌詞を漢字交じりハングル*1に書き直したものが出てきたので、捨てる前にここに記録しておこうと思います。

 

北朝鮮は韓国とは異なり、漢字の使用を一切禁止しているので、公式に漢字交じりハングルで書かれたものはないと思います。

 私が実際にこれの翻訳をしたのは1年以上前だったはずなので、その手順ははっきりとは覚えていませんが、確か、

  1. 元の歌詞とその日本語訳を見比べて
  2. 漢語由来っぽいところを抜き出し
  3. Googleに和訳を検索させた

だったと思います。

 

攻撃戦이다

 

붉은旗 추켜들고 進撃해간다
銃隊를 앞세우고 突撃해간다
一心의 千万隊伍 이끌고가는
그 모습은 先軍旗幟다

攻撃 攻撃 攻撃앞으로
将軍님의 革命方式은
白頭山번개처럼 攻撃
正日峰雨雷처럼 攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦이다


山岳이 막아서도 踏歩가 없다
大敵이 밀려와도 防禦가 없다
瞬間도 멈춤없이 맞받아치는
그 戦法은 必勝不敗다

攻撃 攻撃 攻撃앞으로
将軍님의 革命方式은
白頭山번개처럼 攻撃
正日峰雨雷처럼 攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦이다 


目標는 強盛大国 希望峰이다
표대는 主体偉業 勝利峰이다
先軍의 直線走路 暴風쳐가는
그 걸음은 強行軍이다

攻撃 攻撃 攻撃앞으로
将軍님의 革命方式은
白頭山번개처럼 攻撃
正日峰雨雷처럼 攻撃
攻撃 攻撃 攻撃戦이다

漢字交じりハングルを見て改めて思うのは、やっぱりハングルの発音体系と漢字交じりハングルって相性悪いなぁと。
例えば、

攻撃 攻撃 攻撃앞으로

のところは、ハングルのみで書くと

공격 공격 공격앞으로

となります。これを無理やりカタカナに直せば
「コンギョ コンギョ コンギョッガップロ」
となるわけです。

ハングルはリエゾンのような現象が発生するので、
「攻撃」を意味する「공격」(ローマ字で書けば"konggyog")と、
「前へ」を意味する「앞으로」(ローマ字で書けば"apulo")が続くと
gとaがくっついて"konggyo-gapulo"のように発音されます。

漢字交じりではこれが「攻撃앞으로」のような表記になってしまうので、
「撃」の末尾にあるgと、次のaをリエゾンして発音するというのが、
見た目からわかりづらくなってしまうと思います。
(まぁ結局は慣れだとは思いますけど)

 

日本語にも同様の現象はあります。
観音を「かんのん」と読むのは、「観」末尾のnと、「音」先頭のoがリエゾンするからですし、
三位を「さんみ」と読むのは、「三」の本来の末尾であったmと、「位」先頭のiがリエゾンするからです。

 日本語には母音なしで/m/と発音する体系がない一方で、母音なしで/n/を発音する体系があったので、「三」は/sam/→/san/に変形しました。
因みにハングルで「三」はまさに「삼」/sam/と発音されます。

 

このように、日本語でもリエゾン現象は確認できるのですが、何しろ少数の固有名詞の中でしか発生しないので、あまり意識されません。
ハングルはいろんなところでリエゾンが発生するので、「この単語は特別」なんて覚え方はできないのです。 

*1:ハングル(한글)は韓国側の呼称であり、北朝鮮側の呼称はチョソングル조선글)ですが、ここでは日本人への馴染みの観点から、ハングルという呼称で統一します。

ひらがな「つ」の由来について―音図及手習詞歌考の解説


大矢透『音図及手習詞歌考』に、「つ」についての記述がありましたので紹介します。

なお、原文は国会図書館のデジタルコレクションから参照できます。

音図及手習詞歌考 - 国立国会図書館デジタルコレクション


>>
(引用者註:ひらがなを、その由来となった漢字の音別に分類した図を指して)
右の図において、(それぞれ「と」「つ」「の」「こ」の由来の漢字である)止川乃己の三字(四字の誤記か?)をもって、
古音とせしは、仮名源流考の第四章第二類において、詳説せるところなり。
今この大要をいわば、周代古韻にては、止乃己は、共に同韻にてオイの韻、
川は焚順聞雲等と同韻にてウヌ韻なり。

しかして、韻鏡なる照母穿母牀母の文字は、古音にタ行の音なる端透定の三母の音に呼ぶこと、淸の錢大听が養新錄に、いちいち実例を挙げて論定せるところなり。

されば、止は照母にして、川は穿母なるが故に、止はトイにして、川はツヌとなるべき理なれば、乃己のノイ、コイと共に古韻なること、更に疑なければなり。

但し、ここにつに川字を当てたるにつきては、読者中、あるいは異論あるべし。そはつの字原につきては、種々の異説あること、岡田眞澄が仮字考に挙げたる新井白石の同文通考の肥人の書というより始めて、澤元愷の模微字説の鬥廣澤の門、僧全長の伊呂波字考錄の鬪、日本紀通證なる川の全訓、あるいは州の省文の音の数説あるが上に、近くは、故木村正辭翁の州字説ありといへども、いずれも確実なる根拠なきをいかにせん。

しかるに編者が、川字をもって当てたるは、正倉院古文書中、

 大寶二年御野國戸籍 阿尼つ賣

 同   豊後國戸籍 川内漢部佐美

 天平五年近江國志何郡計帳 私造川見賣 川造石弓

など見えて、川字を川と記し、津彌賣、川見賣、異人ながら、同名と見ゆるを川見と記せるは、川の同音なるを證すべく、これらにて奈良朝において、川字を川ともつとも記けるを證すべく、しかして、仮名沿革史科、空海の作なる沙門勝道の碑文の傍訓に、ツを川川とし、その次々のものに、川川川川川川一などを交用せるにて、つツの原字の、川なることは、疑うところなきに、周代古音研究上、川字のウヌ韻にして、端透の音なりしとの考證と、旁相いまちて、一定してまた動かざることとなれるなり。


(pp83-85、括弧書きは全て引用者註、また、一部表記は現代風に改めた)
<<

漢字で書かない言葉

結城浩『数学文章作法 基礎編』を購入し、読み進めています。

 以前手に取ってパラパラ立ち読みした時は、「なんか当たり前のことが書いてあるなぁ」ということで購入を見送っていたのですが、
どうも最近、仕事の方で報告書の手戻りが多く、どうにかしたいと思って購入に至りました。

 

漢字で書かない言葉

さて、表題ですが、
これは例えば、

  • 「〇〇するとき」の「とき」を「時」と書かない
  • 「〇〇すること」の「こと」を「事」と書かない

などのことです。

私も今まで、色々な場面でこのことを見聞してはいるのですが、今一つ納得できずにいます。

結城も、

 接続詞・福祉・指示語は、ひらがなで書いた方が読みやすくなります.

   然し  → しかし
   若し  → もし
   例えば → たとえば
 (中略)
   或る  → ある

「とき・こと・もの」を形式的に表現するときも,以下のようにひらがなを使いましょう.

   ~する時 → ~するとき
   ~する事 → ~すること
   ~する物 → ~するもの
 たとえば,
   素数pが整数nを割り切るとき,
   pnの素因数という.
に出てくる「とき」は「実際の時間」を意味していません.このようなときには,ひらがなを使うということです.

(p30)

と書いてはいますが、やはり今一つ納得できずにいます。

 

納得できない箇所は2つあって、

  1. (接続詞等について)漢字自体も読みも義務教育で習っている用例なのに、なぜ漢字で書かないのか?そんなにわかりづらくなる?
  2. (とき・こと・ものについて)線引きの基準がわかりにくい。逆に、どういう時は漢字で書いていいの?

 

公用文での漢字使用ガイドライン

どうやら公用文で、どのような時に漢字を使えばいいかを示したガイドラインがあるようです。

公用文における漢字使用等について

このガイドライン(内閣訓令)では、

  • このようなときは漢字で書くこと
  • このようなときはひらがなで書くこと

と定めています。

内容を読んだところ、私の基準は割とこの公用文ガイドラインに近いです。

(2)-オの一部に納得いかないものがあるくらいかな。

オ 次のような接続詞は,原則として,仮名で書く。
   例  おって かつ したがって ただし ついては ところが
     ところで また ゆえに
 ただし,次の4語は,原則として,漢字で書く。
      及び 並びに 又は 若しくは

個人的には、「おって」「したがって」「ただし」は、「追って」「従って」「但し」と漢字で書いてしまいます。また、「若しくは」は「もしくは」とひらがなで書きます。

FIFA W杯 ロシア大会を記念して「めざせモスクワ」の歌詞を読解する

Moskau, Moskau
Wirf die Gläser an die Wand
Russland ist ein schönes Land
Ho ho ho ho ho, hey

  • "wirf"は"werfen"の命令法3人称単数で「投げろ」

Moskau, Moskau
Deine Seele ist so groß
Nachts da ist der Teufel los
Ha ha ha ha ha, hey

  • "der Teufel los sein"は直訳すると「悪魔が逃がす」ですが、イディオムで「大騒ぎする」という意味

Moskau, Moskau
Liebe schmeckt wie Kaviar
Mädchen sind zum küssen da
Ho ho ho ho ho, hey

  • "zum (動詞不定形) sein"は英語の"be to (動詞原形)"と同じ意味

Moskau, Moskau
Komm wir tanzen auf dem Tisch
Bis der Tisch zusammenbricht
Ha ha ha ha ha

  • "zusammenbricht"は"zusammenbrechen"の3人称単数で英語の"break down"という意味
    • "zusammen"は"together"という意味なので「完全に破壊する」くらいの意味合いです