hの話(その5:日本語史におけるh)

前回:hの話(その4:hの役割が変わった時)


現代日本語には極当たり前に存在する[h]の音であるが、
日本語の歴史においては、新しく日本語に加わった音である。
しかし一方で、「ハ行」に相当する文字自体は、日本語が文字で書かれ始めた頃から存在している。
では、このハ行の文字たちは、かつてどのような発音をされていたのか。
高山 et al.の「音韻史(シリーズ日本語史1)」(岩波書店, 2016)に沿って、ハ行の歴史を見てみよう。

江戸時代以前のハ行


▲日本語の歴史を踏まえると、
ぱるる」という愛称は
奈良時代的」と言えなくもない。

奈良時代、まだひらがなやカタカナが発明される前の日本語は、
漢字の音で日本語を記していた(万葉仮名)。
この中で、ハ行の音として使われている漢字は、実は[h](暁音)の音を持つ漢字ではなく、[p](幇音)や[b](並音)、[f](非音)の音を持つ漢字であった。
この時代に[h]の音を持つ漢字がなかったわけではない。
つまり、ハ行の音を表すのに、仕方なくこれらの漢字を使ったのではなく、
[h]の音を持つ漢字があるにも関わらず、積極的に[p]などの音を持つ漢字を使ったということになる。
このことから、当時のハ行の音は、[p]音に近い音であったと考えられる。
なお、当時[h]の音を持っていた漢字は、日本でどのように読まれたかというと、[k]の音で読まれていたと推測されている。
現代日本語と現代中国語を比べてみても、上海の「海」のように、日本語で「カイ」と読む「海」は中国語だと「ハイ」と読まれる。
このことからも、当時の日本語に[h]音がなかったことがうかがえる。

これが平安時代に入ると、次第に[ɸ](無声両唇摩擦音)の音に変化した。
更に10世紀中葉には、語中のハ行の音が、[ɸ]から[β̞](両唇接近音)に変化し、ワ行と同じ音になった(ハ行転呼)。一方で、語頭のハ行はそのまま[ɸ]の音を保った。
学校の古文の授業で、「はひふへほ」を「わいうえお」と読むことがあるが、まさにこの影響であるし、
勿論、現代日本語で助詞の「は」「へ」を「わ」「え」と同じ音で読むのも、これが影響している。
安土桃山時代にヨーロッパの宣教師が日本語を書き表す際にも、ハ行は"h"ではなく"f"を使っていたことからも、そのことが伺える(例えば『日葡辞典』など)。

江戸時代以降のハ行

江戸時代に入ると、ハ行の音の内、「ハヘホ」の音が[ɸ]から[h]に、「ヒ」の音が[ç]に、それぞれ変化したと考えられている。
例えば、『蜆縮凉鼓集』(1695)では、旧来の五十音図の音の並びは当時の音にあっていないとし、新たな図表の作成を試みているが、
この新表において、ハ行の位置はア行の次に移動しており、行の名前も、ア行を「喉音」と呼ぶのに対しハ行を「変喉」と称している*1 *2
また、室町時代の歌い方を記した『音曲玉淵集』(1727)では、「ハ・ヒ・ヘ・ホ」の文字は「フハ・フヒ・フヘ・フホ」と発音するように、と書いている*3
わざわざこのように指導するということは、この頃からハ行は、[ɸ]の音から、現代日本語のような[h]の音になったと考えるのが妥当であろう。

次回:hの話(その6:英語の"th")

*1:国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2546007の上巻12ページ(コマ番号は15)

*2:ちなみにこの新表は、ア行・ヤ行・ワ行のカタカナをすべて分けていたり、オとヲが現在の位置と逆であったりと、他にも興味深い点があるが、ここでは割愛する。

*3:国立国会図書館デジタルコレクションhttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/858459/25の44〜45ページ(コマ番号は32)