韓国語の/z/音について

前回のブログで、韓国語の/z/音について触れてから、ちょっと気になってしまったので色々調べてみました。

参考:なぜ日本人はLとRの発音を区別できないのか?(中学生の英語なぜなぜシリーズ その3)


最も参考になったのは、金東昭著(栗田英二訳)の「韓国語変遷史」(明石書店)です。
なお、以下の引用部では、適宜改行の上、一部の漢字を日本の当用漢字等に置き換えています。

古代韓国語における/z/音

古代韓国語の固有名詞表記や口訣・吏読資料にはz音を確認できる例はない。
この音を垣間見させる最初の資料は『鶏林類事』であるが、僅か2,3の語(中略)から
15世紀の訓民正音での表記である'ㅿ'に対応する日母(ɳʑ)*1字を捜し出せる程度である。
『郷薬救急方』の場合にも事情は同じで、(中略)3語から捜し出せるだけである。
(p57)

つまり、ハングル成立以前の韓国固有の表音文字では、/z/音を示すものはなく、
12世紀初頭〜13世紀中葉に中国人が書いた韓国語に関する文献に、/z/音に対応する言葉が数個、登場しているにすぎない、
すなわち、この当時の韓国語では/z/音は明確な音素として確立していなかったことが伺える。

むしろ訓民正音の表記で'ㅿ'音を持っている語が、この文献では(中略)s音を表記する文字(中略)で
記録されている例がより多く現れるのである。(中略)これらの語は元来s音を持っていたようである。
(pp57-58)

訓民正音の著された頃に/z/音とされた言葉は、この当時は/s/音で表記されていることが確認されている。
つまり、12世紀頃に/s/音だったものが、時代が進むに連れて/z/音に変化したことが考えられるということだ。

結局、中国漢字音の日母[ɳʑ]字は古代韓国語では s に反映したと言わざるをえない。
このような状況で12世紀以前のある時期に古代韓国語のある語においてs音がz音に変化[弱化-有声音化]する事件が起こり、
後代に下りつつ、その変化が拡大したようである。
しかし、このz音はs音が脱落するまでの過渡的な音としてのみ存在し、音素としては確立出来なかった。
ただ、古風な発音の影響と中国漢字音の影響、及び訓民正音の文字の制定('ㅿ'文字の制定)により
15世紀末までその音が部分的に存在したに過ぎない。
(pp58-59)

韓国語の音韻の歴史の中では、/z/音は遂に音素として確立することはなかったのだ。
この歴史の中では、/z/音は/s/音が無音化(ゼロ子音化)する過程で登場しているだけで、
精々/s/音の異音程度の扱いだったのだろう。
ただ、たまたま/z/音に近い音([ɳʑ])を識別できた中国人がこれを記録し、
また、その音が音素として確立している中国語を参考に/z/を表すハングルの文字'ㅿ'が制定されたため、
文献の上では、さもこの時代の韓国語に/z/音が確立していたかのように見えるだけである。

この状況は、現代日本語における「ヴ」と大変似ている。
つまり、現代日本語には音素として/v/が確立しているわけではなく、
外国語で/v/で発音される言葉は、日本語に輸入された時点で/b/の音に変化しているし、
日常会話レベルで「ヴ」の表記を本当に/v/で発音している人は稀で、多くの日本語話者は/b/で発音している。
ただ、外国語で/v/と発音されている外来語は、表記の上では「ブ」の他に「ヴ」を使ってもいいという慣習によって、
日本語の文字では「ヴ」が存在しうる状況にあるのだ。

もしこの先地球人が絶滅し、音の記録も全て消滅し、地球人が使っていた文字だけが残っているところに
宇宙人がやってきて、日本語の「ブ」と「ヴ」の文字が表音文字であることを知ったら、
きっとこの2つの文字には異なる音が割り当てられていたのだろうと推察されるのだろう。

ハングル制定時の'ㅿ'の扱い


Yangdong Folk Village / cotaro70s


後日談的だが、それでも'ㅿ'の文字には一定の価値はあったようで、
先の文献ではこのような記載も見られた。

'ㅿ'の場合も(中略)'ㅅ'維持方言と'ㅅ'脱落方言の折衷案を表記するために使用された文字であると信じられる。
'마을(村)'という単語は15世紀にも地方と個人によって、
[mo-ul,mma-ul,ma:l,mɔ:l,mo:l,mo-sul,ma-sŭl,mo-sil,ma-sil,mo-sŭl,mɷ-sŭl]などと発音されたものと信じられる*2
このように多様な幾つもの方言形の中から、どれを標準形として定めるかと言う問題は、それほど易しくはなかったであろう。
特に、単語の中の[s]音の有無が標準形決定において一番大きな難問であったろうと考えられる。
このような困難を克服すべく深思熟考を経て創られた標準形'ᄆᆞᅀᆞᆯ'の'ᄆᆞ'は[mo, ma, mɔ, mɷ]の折衷表記であり、'ㅿ'は[s, ∅]の折衷表記であり、第2音節の'ㆍ'は[u, ŭ, i]などの母音音の折衷と、母音調和表記法を考慮した(中略)として其々採択されたものだ。
(p160)

ハングルの制定化の歴史はこんなにも複雑なのだ。
表音文字で折衷案なんていうのは、勉強不足ながら初めて聞いた。
これが例えば英語では、綴りはある地方の、発音は別の地方のものを採用したために、綴りと発音が乖離した例は聞いたことがある(例えば"busy"は、イギリス中東部では"bisy"、中西部・南部では"busy"であった)。
日本語でも、例えば「寂しい」は「さびしい」の他「さみしい」と読むこともあり、「瞑る」の「つぶる/つむる」など、発音の揺れがある言葉はあるが、
ここで折衷案になるということはやはり聞いたことがない。

韓国語の固有語に'ㅅ, ㅈ'の変異音として'ㅿ [z]'に近い音が現実的に存在し、また、中国漢字音に日母音があり、
韻書などを通じた漢字音教育において、学生達はこの音で発音するように指導されたので、'ㅿ'は'ㅸ'*3より生命力が長かった。
しかし既にこの時代の文献に(中略)'ㅿ, ㅅ, ㅈ, ㅇ'などが混用されているのを見ると'ㅿ'が音素として存在したのではないことを知ることが出来る。
(pp160-161)

言語の歴史の中では、「音が生まれてから文字が生まれる」が逆転することは決して珍しくない。
韓国語の'ㅿ'の場合も、文字が生まれることによって、学生という知識層に限った話ではあるが、/z/の音を韓国語に用いていたのだ。
こういうところは認識論的である。

16・17世紀の文献(中略)などに'손ᅀᅩ/손소/손조/손오(親)、몸ᅀᅩ/몸소/몸조(躬)'などが共に現れているのも、
これらの語形が16世紀以後に新しく生じたのではなく、それ以前から既に方言などに存在していた語形であったが、
15世紀にはこれらの折衷・統一形として非現実的な'손ᅀᅩ/몸ᅀᅩ'だけを採択して文献で使用したのである。
18世紀以後、これらの語形は中央語で一番大きな勢力を持っていた'손소/손수、몸소'に統一され、その他の方言系は全て死滅したものと思われる。
(p161)

いくら王命で文字や綴りを制定しても、それが広く民衆に行き渡り、浸透しなければ、世俗の用法に駆逐されるわけです。
(「駆逐」なんて言うと、世俗語の方が卑下で悪者な印象を持ちますが、言語に限らずそういうものであり、決して世俗=悪ではないはずです。)
特に折衷案となると、両者とも満足しない結果なわけで、音素として確立していなかった/z/を担う'ㅿ'が消滅したのも、
自然な成り行きなのでしょうね。

*1:6世紀から10世紀までの中国語における声母(子音のこと)のうち、「日」の声母にあたるもの。現代中国語のピンインでは"r"音に変化している。

*2:ŭはマッキューン=ライシャワー式の表記でIPAでは概ね[ɯ]にあたる。また、ɷは古いIPAであり、最新のIPAの[ʊ]にあたる

*3:'ㅿ'と同じく、訓民正音に制定され、現代韓国語では使われていない文字。音価は[β]であったと推定されている。