ひらがな・カタカナ裏話(その4:字源の漢字の裏を取る(中編))

前回の続きです。

前回:ひらがな・カタカナ裏話(その3:字源の漢字の裏を取る(前編))

し(之)


Meshi / kzys


「し」の書体として上に「丶」が打たれるものがあるので、「之」が由来というのにはそんなに違和感はないのですが、
それにしても「Z」のような後半3画を「し」のようにしてしまうか、という見方もあります。
しかし中国書道で、既に縦に長いぐにゃぐにゃに崩された書体があり、凄いものでは「これは子供が描いたヘビなのでは?」と思うようなものもありました。
日本では連綿と呼ばれる、文字同士が一繋ぎに書かれる書き方があったので、このぐにゃぐにゃはより簡略化され、「し」に至ったという訳です。
但し、「し」の右への払い上げは、活字化のタイミングで強調されたように思います。手書きをする上では、そのまま右下へ払われる場合がほとんどですし。

ち(知)


▲中国東晋の書家
王羲之(303-361)の画
(藤原, p1014.)


個人的には記事を書く前の「み」並みに納得行かない例です。
「つ」の部分が「口」に相当するのはいいとして、
じゃあ「十」の部分が「矢」ってこと?と。
しかし調べてみると、中国書道の時点で「知」は「ち」に近い形で書かれている例が複数ありました。
書聖と言われる王羲之が「知」を「ち」と書いているなら、凡人の僕は何も言えません。
「知」の偏である「矢」は、「矢」だけで書かれるときはあまり崩されないのですが、「知」「短」「矩」のように「矢偏」として用いられる場合は、「ち」に近い形(より正確には、「く」の上側を「一」で貫いたような字)で書かれることがあったようです。

つ(川/州)

「つ」の字源には諸説あり、「川」説と「州」説が併存しています。元々「川」と「州」自体の字の成り立ちが近いので(「州」の原義は今の「洲」であり、「川の中の島」の意)、混同されていた可能性もあるかなと私的には思っていますが、証拠は見つけていません。
今回はどちらの説も棄てず、両方について調べてみました。
まずは「川」ですが、これが「つ」のように一繋ぎに書かれた例は見つかりませんでした。日中とも、しっかりと3つの線を書いています。
一方で「州」の方ですが、こちらはいくつかのパターンがありました。
中国では「ね」のような、縦棒の後に左から右へくるくるっと書いた書体が見られました。縦棒を3本書いた後に、横棒を書いたようなものもありました。


▲古地図を見ると、「州」と書くべきところを
「刕」としているものに出会います。
例えば「尾刕殿」は「尾張国の屋敷」と
いう意味です。

他方、日本では、「州」を「リ」が3つ並んだものと見立てたような書体が複数ありました。「州」の異体字に「刕」がありますが、これはそのような解釈から生まれた字なのでしょう*1
結局「州」についても、「つ」のように書いたものはありませんでした。強いて言うなら、先に挙げた「ね」のような字体が近いのかな?

次回:ひらがな・カタカナ裏話(その5:字源の漢字の裏を取る(後編))

*1:部首の「刂」は「りっとう(立刀)」と読み、その名の通り刀を意味しています。「剣」「刻」「割」「刈」「剃」などは、関係ありそうですよね。