ひらがな・カタカナ裏話(その3:字源の漢字の裏を取る(前編))

ひらがなの由来の中には、「それホント?」と言いたくなるようなものがあります。
過去に記事にした「み」や「へ」は、そんな思いから記事にしたものです。
この2つは、元の字とされる「美」や「部」と大きく形が異なるため、その成り立ちに疑問が湧いた字でした。

前々回:ひらがな・カタカナ裏話(その1:「み」のはらいはどこから来たの?)
前回:ひらがな・カタカナ裏話(その2:「へ」が「部」から出来たって本当?)

今回は、個人的に「み」や「へ」ほどではないものの、
イマイチ納得できていないひらがなについて、紹介します。

本当にその字が崩れた形なの?

ひらがなの成り立ちについて解説した本でも、単に「○は□の草書」とだけしか書いていないものが多いです。形が大きく変わっている「へ」などは、特別にページを割いている場合もありますが、中途半端に納得できそうなものについては、ほとんど補足がないことが多いです。

そこで今回は、由来とされる漢字について、その漢字自身のくずし字を調べ、そこから生まれたとされるひらがなと比較するという方法を取りました。
更に、漢字の崩し方が日本と中国で違うこともあるかもしれないと考え、
中国書道の字典と日本書道(という言い方は余りしませんが)の字典を参考にしています。
(日本人は漢字とひらがなの両方を知っているので、一方を書くときに他方を意識してしまうかも知れませんが、
中国人は漢字しか知らない(はず)なので、純粋な漢字の崩し字と見做せる、という意図です。)

前者2つは中国書道専門、後者1つは中国書道と日本書道の両方を扱っています。

字体が大きく異なる(私見)ひらがな9字

さて、では結果を見ていきます。

き(幾)


▲中国宋代の詩人 林逋
(967-1028)の画
(伏見, p325.)


「き」の由来は「幾」とされています。
「幾」は12画の漢字ですが、ここから4画の「き」が生まれています。
これについて森岡は、「幾」の草書は、右下の「ノ」を省略し、上から右下へ貫く画を書いた後は、左下の「人」に移るからであると補足しています。
先の3文献でも、確かにそのような字体があり、波多野では「き」の終画に相当しそうな部分を持つ「幾」のくずし字もありました。
上に2つ並ぶ「幺」を「丶」と「ノ」で略すようになり、
これが続けて書かれるようになった結果が、「き」の1画目、横に貫く「一」が2画目、縦の貫きが3画目で、「人」の部分が4画目、というところでしょう。
なお、「幾」の終画である点は、くずし字では省略される場合があったようで、「き」では消えています。

さ(左)

「左」の二画目の左払いを次の「工」へ続けやすくするために、右に曲げてしまった
森岡, p8.)

森岡は言っています。
確かに、波多野では「左」のくずし字として左払いを右に曲げたものが1例だけ確認できました。
しかし、日中両方において、基本的に「左」の左払いはちゃんと左へ払い切っているか、精々縦になっている程度で、明らかに右に曲がることはほとんどなかったようです。
中国書道では、「h」の上を「一」が貫くような字体や、「ち」のような字体が見られました。

(2020/9/6追記 ここから)
巌谷修『行書草書大字典』(柏書房, 1983)には、左はらいを縦に書き、そのまま「工」へ筆を運んだ字も見られました。
これが崩れていくと、「さ」の形に近づくような気がします。

(2020/9/6追記 ここまで)

残り7字は次回以降に回します。

次回:ひらがな・カタカナ裏話(その4:字源の漢字の裏を取る(中編))