ひらがな・カタカナ裏話(その1:「み」のはらいはどこから来たの?)


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よくあるそば屋 / Urawa Zero

我々日本人が日常的に使っている「ひらがな」「カタカナ」は、いずれも漢字から生まれたものだということは、皆さんもご存知だと思う。
「あ」は「安」を、「い」は「以」を、「う」は「宇」を、それぞれ崩したものから生まれた。崩した末に無くなってしまった画もあるが、それぞれのひらがなから元の漢字を辿ることは難しくない。「あ」を例に取れば、1画目はウ冠の横棒を、2画目はウ冠の1画目と「女」の1画目(「く」の部分)を繋げたものを、3画目は「女」の2画目(「ノ」の部分)と3画目(「一」の部分)を繋げ、左下に払ったものを、それぞれ対応させることが出来る*1
しかし、いくつかのひらがなには、全く訳がわからない変形を遂げたものもある。今回は、ひらがなの「み」に注目してみたい。

「み」の2画目の謎

ひらがなの「み」は、一般的には「美」から生まれたものとされる。「み」の、横画を書いて左下に伸び、くるっと時計回りして右に向かうのは、「美」の、最初の2画を繋げて書いて、そのまま「三」を省略して「人」の左払いに続き、筆の穂先を付けたまま右払いに向かったものと解釈できる。問題は、「み」の2画目のはらいである。「美」は右払いが最後の画なので、「み」の1画目でそこまで済んでいるのである。「美」のどこをどう探したって、「み」の2画目に相当する部分は見出せない。
一般的な国語の教科書や資料集、国語辞典の付録には、この「み」の2画目に関する記述を見つけることは出来ない。「み」は「美」が由来ということは書いてあっても、具体的にどのように成立したかについては丁寧に書いているものはない。一体、「み」の2画目はどこからやって来たのであろうか。

正解は「美」の"別字"


森岡隆: 図説 かなの成り立ち事典
この本が仮名の成り立ちについて
詳しく書いてある。

実は、「み」は直接「美」から生まれたわけではないのだ。「美」の別字である「羙」という字が、直接の「み」の祖先である。

平仮名「み」の字源を正確に記せば、この「大」の横画を左右に分けて「火」とした「羙」です。(中略)「美」からでは決して「み」の終画「ノ」は出てきません。(森岡, 2006.*2

という訳で、「み」の2画目は「美」の別字である「羙」の最後の点がはらいに変わったものだったのです。

「羙」について

この「羙」の字は、本来は子羊という意味を持つ「羔」の別字であり、「美」とは関係ない字であった。しかし、奈良時代には既に「美」と「羙」は同じ字と認識されていたようで、762年の正美という僧の書名では「美」を「羙」と書いていることが確認できる。
後年、明の時代に中国で作られた字典でも、

美、美惡之美、从羊从大、今誤作羙。羙、卽羔字、小羊。(字彙)
𦍚、同羔、俗作嘉美字。(正字通)(諸橋, 1958.*3

と、「羙」は誤って「美」として使われると書いてある。
「羙」と「美」の関係はこのようであるが、「羙」を載せている字典は多くない、例え載せていても、「美」との関係についての記述は様々だ。

羙は美の俗字(簡野, 1955.*4
同美(漢語大字典編輯委員会, 1988.*5 但し、前項で同羔と書いている)
羔の俗字、美の誤字(水野, 1984.*6

と、日中にかかわらず俗字から誤字まである。金石異體字典*7には、「美」の異体字が幾つか掲載されているが、その中に「羙」は一応含まれている(何故か「羙」だけが手書きで追記されたかのようなフォントであるが)。

カタカナの「䒑」

ところで、カタカナの「ミ」は漢字の「三」から来ているのは言うまでもない。変体仮名で「み」の音を表すカタカナは、「見」から生まれた「ア」に似た文字がある*8が、マイナーなものだと「美」の最初の3画から生まれた「䒑」というものもある*9。しかし、「ア」が江戸時代まで生き残ったのに対し、「䒑」は平安時代中期までしか見られない*10

次:ひらがな・カタカナ裏話(その2:「へ」が「部」から出来たって本当?)

*1:「安」の字の書き順を考えれば、「あ」の2画目がそのように出来るなんてありえない、と思った方がいると思いますが、ひらがなの書き順が公式に決定したのは1958年であり、そういう点では「書き順」よりひらがなの方が先輩なので、このような事はありえるのです。古来、文字の書き順とは公教育が発展してから後付け的に作られたものであり、文字が生まれたと同時に書き順は決まらないので、このようなことが起こりえるのです。そもそも漢字だって元々は占いの時の甲羅の割れ目から生まれた甲骨文字を祖先にしている訳で、割れ目に書き順があるかという話です。

*2:森岡隆: 図説 かなの成り立ち事典, 教育出版, pp16-17, 2006.

*3:諸橋轍次: 大漢和辞典, 大修館書店, Vol. 9, pp9418-9419, 1958.

*4:簡野道明: 字源(増補版),角川書店, p1520, 1955.

*5:汉语大字典编辑委员会: 汉语大字典, 四川辞书出版社・湖北辞书出版社, Vol. 5, p3128, 1988.

*6:水野恵: 古漢字典, 光村推古書院, p449, 1984.

*7:北川博邦, 佐野光: 金石異體字典, 雄山閣出版, p300, 1980.

*8:我々が現代で使用している「あ」の音を示すカタカナの「ア」は「阿」から出来たため、「み」の 音を表す「ア」が使われていた頃は、「あ」の音を表す「ア」の2画目は直線的に縦に伸びており、「み」の音を示す「ア」と区別はついたようだ。

*9:変体仮名は今の時点ではUnicodeでカバーしていないため、ここでは「艹」の異体字として登録されている「䒑」を用いた。

*10:築島裕: 日本語の世界 5 仮名, 中央公論社, pp266-267, 1981.